「三種類の観光客」

ジョルダン・サンド「観光都市東京の百年(上)」『図書』(岩波書店)826、pp.30-33、2017*1


曰く、


(前略)今日の旅行業では観光客は国内と国際とに二分されるが、百年前の東京にはもう一つ、日本の植民地から訪れる人たちの区分があった。植民地からの最初のいわゆる「内地旅行団」は、一八九七年、僚友から二年後の台湾からである。さらに一九一〇年、日韓併合直後に六十名の貴族*2の団体が「観光」名目で来日している。台湾の先住民や一九一四年以後は南洋諸島の島民も、毎年のように内地観光に来ていた。法制上植民地被支配民だったという点においても、日本の支配に服従させる目的で連れてこられた点においても、国内国際いずれの観光客とも異なっていた。
これら三種類の観光客の違いは言葉にも現れている。当時、植民地からくる「観光団」に対して、地方から上京する国内旅行者は「観光客」とは呼ばれず、その行為はただの「見物」と称された。「観光」とは内地に来る被支配民の行為だったのである。一方、西洋の蒸気船でやってくる「国際」旅行者は、当時のJTB資料などでは「漫遊外客」と称されていた。(pp.32-33)
ところで、「一九二二年に刊行された『だまされぬ東京案内』」というガイドが言及されている(ibid.)。海外旅行案内というジャンルでは、レイシズムの域に達した〈気をつけろ!〉言説が今でもしばしば登場する*3。でも、国内旅行だったら? 21世紀の時点で、(東京人向けの)《だまされない大阪案内》というようなガイドブックが刊行されたら、炎上してしまうだろうか。
また、『だまされぬ東京案内』の「本文においても、東京は単に楽しみが目的で訪れる場所ではなく、常に警戒を強いる残酷な競争の場所であると強調している」という。これは、日本近代に特有の反都会主義、東京のような大都会はたんなる出稼ぎ先或いは観光地でしかあり得ず、健全な日本人が定住すべき場所ではない、ムラこそが日本人の本来的な居場所である、とするイデオロギーと関係するか。