シェリングと西谷啓治から

京都学派 (講談社現代新書)

京都学派 (講談社現代新書)

菅原潤『京都学派』*1の刊行を知ったのは、講談社のPR雑誌『本』500号に乗った、著者の「ポスト戦後と京都学派」という一文(pp.44-45)によってだった。
菅原氏はそもそもシェリングの研究者だったという。


修士に入ってから先行研究を調べていくうちに、シェリング研究の水準が戦前非常に高いことに気づかされた。とりわけ岩波の叢書には京都学派を代表する西谷啓治による『哲学と宗教』および『人間的自由の本質』の翻訳があり、シェリング哲学の軌跡が簡潔にまとめられている。残念ながら西谷の解説には後期思想が射程に収められていないが、その点を除けば現在も十分通用する水準だと言ってよい。その西谷が座談会「近代の超克」で太平洋戦争の旗振り役をしていること、また主著『根源的主体性の哲学』でヒトラーの『わが闘争』を絶賛していたこと*2を知ったとき、わが目を疑った。そして私のなかでメインの研究だったシェリング哲学に加えて、京都学派の戦争責任を問う研究がサブとなり、そのメインとサブの関係が徐々に逆転していった。そうこうしているうちに国内外で、冷戦期に封印されていた民族主義的・排外主義的な論調は絶頂に差しかかりつつある。(p.44)
私も西谷啓治の文章を最初に読んだのは、岩波文庫に収録されていたシェリングの『人間的自由の本質』の訳文だった。
人間的自由の本質 (岩波文庫)

人間的自由の本質 (岩波文庫)

「排外主義」を続ける;

振り返れば、九〇年代後半が一つの転機だったと思える。戦後五十年を機に加藤典洋高橋哲哉のあいだでアジア・太平洋戦争における日本とアジアの死者のいずれを先に追悼するかの議論が白熱し、また現在でも日韓のあいだでくすぶっている従軍慰安婦の問題がこれに連動して話題になった*3。当時はまだこれらの問題は、ポスト・モダンの延長上にあるポスト・コロニアリズムの議論で容易に処理可能だという、今から見れば楽観的な雰囲気があった。けれどもこの頃すでにあの日本会議が結成され、戦前の神道イデオロギーを基調にした憲法改正を目指す運動が頭をもたげ始めていた。これは『中央公論』や『文藝春秋』を中心に展開されていた福田恒存、あるいは転向後の清水幾太郎の冷徹なリアリズムとは異なる。はた目から見ても気恥ずかしい自画自賛的で自己陶酔的な特徴を有している。
けれども高度成長期を過ぎてはや四十年、そのあいだに中国と韓国の経済的発展は目覚ましく、対する日本はクール・ジャパンと称するどこか江戸後期に似たいささか軽薄なサブカルチャーを世界に発信する以外に生き残る道はないかに見える。戦時中に跋扈しアジア解放の勇ましいスローガンを歓迎する国はどこにもない。実を言えば座談会「近代の超克」でも評論家の小林秀雄を中心に「超克されるべき近代」を当時の日本は有しているのかが問題視され、また超克の主導者であるはずの西谷が日本文芸についての素養の乏しさを露呈している。こうした事情を総合的に勘案すると、戦前の京都学派は従来見られているような排外主義的な思想の鼓舞ではなくポスト冷戦、あるいはポスト戦後に向けたグローバルな思想を提示したものとして評価すべきではないだろうか。(pp.44-45)
また、廣松渉シェリングを巡って、『京都学派』の「あとがき」から;

その広松氏(略)が、直接の指導教官ではなかったが、現象学研究の大家である滝浦静雄先生が退職された直後の一九八九年に、東北大学で連続講義をなさることとなり、研究室は色めきたった。糖尿病を患っていた氏の身を案じて、講義の合間に豆腐専門の料理店で院生主体の懇親会が開かれた。広松氏は終始笑みを浮かべながら参加した学生の専門を聞いてそれに優しくコメントするという対応をしていたが、私の順番になって私の専門がシェリングだと聞いた途端、氏の顔から一瞬にして笑みが消え、語気を強めて「君は同一哲学をどう考えているのか」と詰問された。「まだそこまでやっていません」と答えると、氏は「はい、次」と吐き捨てるように言い、私に見向きもしなかった。(略)京都学派の真骨頂は非マルクス主義的解釈だったので、京都学派の多くが持ち上げるシェリングが広松氏には気に入らなかったのだろう。(pp.258-259)
さて?

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180409/1523247868

*2:Cf. 『京都学派』、pp.85-86.

*3:加藤/高橋論争については、例えば高橋哲哉戦後責任論』、また坪井秀人『戦争の記憶をさかのぼる』(特に第1章)などを参照されたい。Also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050601 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050819

戦後責任論 (講談社学術文庫)

戦後責任論 (講談社学術文庫)

戦争の記憶をさかのぼる (ちくま新書(552))

戦争の記憶をさかのぼる (ちくま新書(552))