「モーゼスの橋」?

pato*1「20年前、僕らがインターネットに見た、大きな可能性と夢の話。」https://blog.tinect.jp/?p=49320


曰く、


初めてインターネットに触れたとき胸がパチパチした。

インターネットの爆発的普及は人類に大きな変革をもたらした。産業革命並みの大きな変化が起こり、人類の在り様を変えたと言っても過言ではないだろう。

現在、我々の身の回りにはインターネットとそれに類する技術が文字通り掃いて捨てるほど存在する。


今思い返すと、初期のインターネットは「モーゼスの橋」だったように思う。

モーゼスの橋とは人工物の政治性を語る際によく使われるエピソードだ。橋のマスターとまで言われた都市計画家だったモーゼスはニューヨークのロングアイランドの公園道路にかかる陸橋を作った。しかしながらその陸橋は一般的なものより橋桁が低かった。

モーゼスはわざとそういった低い橋を作ることで陸橋の下側の道路を大型バスが通行できないようにしたのだ。

当時はこれらの大型バスは黒人や貧困層が主に用いる交通手段だったため、橋脚を低く作ることでそれらのバスを通れなくし、その先の街へ貧困層が立ち入れないようにしたのだ。彼はこうやって理想の街を実現したのである。

貧困層立ち入り禁止と表立ってやると大問題だが、こうして橋を低くするだけで自分の意図を実現できる政治性があるのだ。

もちろん、誰かが意図してそうしたわけではなく、完全に結果論なので本来の意味での政治性とは言えないが、初期のインターネットはまさしくモーゼスの橋であった。

イン ウトする圧倒的な政治性が存在したのだ。

ああそうなんだねという共感とちょっと違うだろうという反感が入り混じった感想を持った。先ず1990年代のインターネットが「モーゼスの橋」のように見えるのは、あくまでも「インターネットとそれに類する技術が文字通り掃いて捨てるほど存在する」現在、平成ももう直ぐ終わらんとしている現在から見て、ということだろう。また、このpatoさんも認めているように、1990年代のインターネットに存在していたのは特定の人たちを排除するという意志ではないだろう。ここで回想されているのよりも数年後に、インターネットにもっと広範な人々を取り込んでいこうという意志が登場した。それは、例えばi-Mode*2であったり2ちゃんねるであったりするわけだけど。
さて、「モーゼスの橋」については、


lamer0310「人工物に政治はある」http://lamer0310.hatenablog.com/entry/2014/12/26/201222


も参照のこと。
また、「モーゼスの橋」を作ったロバート・モーゼスについては、


Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Moses
“Robert Moses Biography Civil Servant(1888–1981)” https://www.biography.com/people/robert-moses-9416268
Paul Goldberger “Robert Moses, Master Builder, is Dead at 92” https://archive.nytimes.com/www.nytimes.com/learning/general/onthisday/bday/1218.html