RAAとか

所謂「従軍慰安婦」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050601 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050809 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060529/1148917245 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060916/1158376607 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070316/1174066719 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070326/1174919208 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070327/1175009584 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070423/1177294758 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070705/1183661994 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080130/1201705768 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090419/1240150549 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091217/1261074876 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100826/1282799908 で言及しているのだった。そう頻繁に言及しているわけではない。
さて、


「RAAの話題をドヤ顔で持ち出す人は「従軍慰安婦」の基本書すら読んでない」http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130317/1363532913 *1


曰く、


ここ*2のコメント欄のemmy_hilander氏とか、ブクマのkomamix氏*3とかが、何の根拠もなく、「RAAだって結局はアメリカの意向で出来て」とかデマを垂れ流しています。

RAA(Recreation and Amusement Association:特殊慰安施設協会)は、東久邇宮内閣が成立した1945年8月17日の翌日、内務省警保局長・橋本政美が各庁・府県長官宛に発せられた「進駐軍特殊慰安施設について」と題する電報から始まります。もちろん警保局長が勝手にやったのではなく、前日の東久邇宮内閣の初閣議で決められたことはまず間違いなく、敗戦後初の内閣が最初にやったことが、連合軍将兵の下の世話だったわけです。

ここで重要なのは、8月17日・18日の時点では連合国軍はまだ上陸していないということです。連合国軍の上陸は公式には1945年8月28日。つまり、日本政府は、連合国軍が上陸している以前から、要求されてもいない性欲処理を自ら申し出たわけです。

emmy_hilander氏もkomamix氏も、この程度のことすら知らないわけですが、まあ慰安婦問題否認論者のほとんどは同レベルでしょう。

そういう論法があったのね。岸田秀の勘違いも同様か。
さてコメント欄にて、Apeman氏*4曰く、

2013/03/18 10:57
産經新聞も「米軍が命令した」という捏造記事を載せたことがありましたね(さすがに後に訂正しましたが)。
当時の関係者に取材したドウス昌代の『敗者の贈物』を読むと、日本側の関係者の多くが中国大陸での日本軍の所行を念頭において設立に関わったことがわかります。
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130317/1363518525
で紹介されているような実態は指導者層には伝わっていた、ということですね。
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130317/1363532913#c1363571824
RAAに関してはやはりの『敗者の贈物』を参照すべきだろう。RAA設立の動機のひとつに、以前やったことを今度は自分がやられるという恐怖があったということは重要だろう。まあさらに遡れば、江戸開城に伴って、勝海舟は江戸の婦女子が薩長に辱められることを懸念していたということはあるわけだけれど。