Amakasu on YG

贅沢は敵か

贅沢は敵か

引越しの準備ということで*1、家の中の物たちを段ボール箱に詰めたりしている。しかし、存在さえ忘れていた本とかをついつい読み耽ったりしている。甘糟りり子*2『贅沢は敵か』(新潮社、2001)を見つけた。甘糟さんの本を買ったという記憶は全くないので、多分妻が買ったのだろう。この本の第5部は「平凡通信」と題して、『BRUTUS』に連載されていたものなので、連載当時に読んだものも少なくない。その中で、これは読んだ記憶はないのだけれど、くすくす笑いながら読んでしまった。2000年4月頃の文章;


プロ野球は開幕したけれど……読売ジャイアンツ、この奇妙な集団」(pp.249-252)


曰く、


ルイ・ヴィトンのバッグばかり欲しがる女の子は、けれどマーク・ジェイコブスが誰なのか知らない。SMAPってかわいい! という女性は、でも、彼らのCDを1枚を持っていない。ぴかぴかに磨いたメルセデスのオーナーは、しかし、スポーツカーにはほとんど興味を示さない。
ジャイアンツを応援しているという人々の多くは、ピッチャーの上原をフルネームで言えないし、インフィールドフライがなんだか判らない。だって、あんまり野球を観ないから。そう、彼ら彼女らは、野球ファンじゃなくて、ジャイアンツ・ファンなのだ。ちなみに上原の名前は浩治で、インフィールドフライは無死または一死、1、2塁あるいは満塁の際の内野フライを守備側に故意に落球させないルールのことである。
世の中はそんなジャイアンツ・ファンで溢れている。たいして野球に関心はないけれど、ジャイアンツが勝てば世の中的になんとなくうまくいっている気分になれるし、というような。特に野球ファンでもジャイアンツ・ファンでもない私には、まったく理解できない。あのひと昔前のパジャマみたいなユニフォームに身を包んだ軍団の、どこがそんなに魅力なのか?(p.249)
長嶋茂雄*3について(このテクストが発表されたのはまだ長嶋茂雄監督の時代);

インフルエンザをインフレ、背番号をバックナンバーといってしまったり、60歳の誕生日を「最初の還暦」と表現するのは、まあただの笑い話にできても、バントのポーズを取りながら審判に代打を告げ、その通りバントさせて案の定失敗するなんて、現実にプロ野球で起こることか?
けれど、ジャイアンツ・ファンのいい分は、長嶋だから許される。この一点張り。ジャイアンツが優勝するために長嶋が必要なんじゃなく、長嶋が喜ぶからジャイアンツが優勝してほしい、とでもいいたげだ。さらには、長嶋は勝敗に関係ないオーナーにしたらどうかという声もある。
ジャイアンツ・ファンにとって長嶋とは、つまり天皇なのだ。神聖不可侵。あいまいな象徴。存在することに意味がある、ということは、人々はなんのために存在しているのか、深く考えようとしない。湯水のように金を使っても誰も文句をいわないところだけは、あちらと正反対。開幕戦のSMAPで一番歌唱力が不安定な中居くんによる国歌斉唱*4が、耳に残っている。(p.251)
巨人の戦力補強の成果を「ゴルフクラブ」に喩えて「普通14本のクラブを、今年は28本使うようなもの」と誇示した渡辺恒雄(ibid.)を踏まえて;

ジャイアンツの戦力を私なりにたとえるななら、成り金のおばさんだ。プラダジル・サンダーエルメスもヴィトンもディオールも、とりあえず全部買ってみたけど、どれとどれをあわせてよいのか判らない。中にはサイズが入らないものもあったりして。だから、余計に他人のブランド物がよく見える。28本のクラブを、着きれないほどのブランド物を持っていて、それでも優勝できなかったら、今度は何を買うのだろうか。(p.252)
ところで、巨人を追放されていた1980年代、長嶋茂雄は反=文化的な英雄としてポストモダンなオーラを付与されていたのだった。