Just a Local Hero

日本に帰った時*1長嶋茂雄松井秀喜に対する「国民栄誉賞」「授与式」というのが行われていた*2。これに対して、以下のように怒っている人もいる;


東京ドームで行われた、長嶋、松井両氏の国民栄誉賞の授与式に、違和感や嫌悪感を抱いた人々は、果たしてどのくらいいたのだろうか?
人気スポーツ選手を出しに使い、商業主義とあいまった政治ショーを、徳光キャスターの嗚咽でもって、こどもの日に全国のお茶の間に届けられていたかと思うと、もはやめまいすら覚える醜悪なイベントでしかなかったというのが正直なところだ。
松井の極めて冷静で実直なスピーチと、翌日のスポーツ紙やワイドショーのはしゃぎっぷりのギャップが、ある意味、このイベントの違和感を物語っていたように思う。

何より、未だ権力欲の衰えないナベツネが裏で糸を引いていたことは、火を見るよりも明らかな訳で、人気選手に取り入って新たに儲けたい商売人の目論見と、政権の支持率を強固にしたい政治家の浅ましい思惑に、世間がまんまと乗せられた恰好だと言える。
読売グループと時の総理大臣による権力の私物化とも言える醜悪なイベントに、諸手を挙げて感嘆できるというのであれば、もはやそれは、この国がポピュリズムに犯されていることを示しているに他ならない。
http://ffwf.blog.so-net.ne.jp/2013-05-07

勿論安倍晋三とか渡邉恒雄とかの振る舞いを快く思わないというのは同じである。しかし主な「違和感」はそういうところにはなかった。それは、長嶋茂雄に関して冗談を言えばどん引きが確実であるというような、お通夜のような厳粛さであった。辺見庸さんはこれに対してキモいと感じたかどうか*3。1980年代には、長嶋茂雄は『週刊文春』の高橋春男の漫画のキャラだったんだぞ(『いわゆるひとつのチョーさん主義』)。また病気に倒れる以前は、その中二以前的(中一的)トーク*4によって、どちらかといえば〈お笑い藝人〉に分類されていた筈なのだ。
いわゆるひとつのチョーさん主義

いわゆるひとつのチョーさん主義

ところで長嶋茂雄は〈国民的英雄〉である以前に千葉県の英雄であろう。新聞のスポーツ面やTVのワイド・ショーが重大事件として紙面や放送時間を割いていたのに対して、新聞の千葉県版は長嶋なんて関係ないよという紙面だった。地元では取り立てて特別のイヴェントがあったわけではないらしいのだ。さて長嶋茂雄の実家は京成の臼井駅前で旅館をやっていた筈なのだが、その旅館が今どうなっているのかは知らない。また現在佐倉市で、〈長嶋茂雄の生家〉が史跡とか観光スポットになっているということもないようだ。
因みにLocal Heroは1986年のビル・フォーサイス監督の映画から。この映画のバート・ランカスター三國連太郎*5的な味がある。