Via http://d.hatena.ne.jp/nessko/20170725/p1
伊藤直也「A さんの件について」http://d.hatena.ne.jp/naoya/20170725/1500942772
まあ不倫のツケの請求については、Nesskoさんの言うように、「自己責任」で引き受け・支払いしていただくしかないだろう。ただ、伊藤さんのお連れ合いが、「A さん」と伊藤さんによって被ったであろう実存的・社会的ダメージを想像した途端に言葉が詰まってしまうというのも事実。
見知らぬ他人の三角関係を倫理的に論うというのも野暮であり、且つ無責任なことであろう。
ちょっと気がつき、気になったことを書く。伊藤さんは「当時 A さんが何度かプライベートのことで落ち込み、死にたいということも含めて私に相談することがあり、それをケアするようになってから関係が深くなっていったように思います」と馴れ初めを語っている。先ずそこには、依存する彼女/依存されるわたしという関係の非対称性があったわけだ。伊藤さんの優位性と言ってもいいかもしれない。しかし、その非対称性は、どのくらいの速さでなのかは知らないけれど、何時の間にか埋まってしまい、均衡してしまったようだ。
伊藤さんは自らの「人間としての未熟さ」を反省しているのだが、お連れ合いについてのあることないことを「A さん」にべらべらと語ったのは、誇張すればするほど「A さん」に憐れんでもらえると思ったからでは? 伊藤さんの方も「A さん」に依存しているわけで、当初存在していた非対称性は均されてしまい、依存は相互的なものになっていた。
婚姻関係にありながら A さんと交際する中、私は A さんにお酒の席や LINE などで、家庭の悩みや愚痴を打ち明ける機会が増えました。その愚痴には誇張も多数含まれています。今回 A さんが書かれたブログには、その打ち明け話を元にした妻の姿も記載されていますが、それらは実際の妻とは異なります。私は、私が原因でうまくいってない家庭の悩みを妻のせいにして、それを A さんに伝えてしまっていました。その話が膨らんで、妻の虚像の元になってしまっています。妻はクレジットカードのブラックリストにも入っていませんし、浪費癖もありません。自分で働いてコツコツと貯めたお金を開業資金に、最近起業したばかりです。私の放言が A さんに妻を悪く思わせてしまっただけでなく、起業したばかりの妻のパブリックイメージも大きく傷つけることになってしまいました。自分自身の失敗をきちんと見つめることができず他責にしてしまう、私の人間としての未熟さが出てしまったと思います。
ところで、「私と A さんが外で会っているところを盗撮した」人がいて、これがストーリーの転機にもなるのだが、勝手な読者の感想としては、この盗撮者の登場によって、純文学からサスペンス・ドラマへとジャンルが一気に転換してしまった、という感じがした。