Dangal

先週の土曜日、ニテーシュ・ティワーリー(Nitesh Tiwari)監督の映画 Dangal*1を観た。dangalとはヒンディー語で「レスリング」の意。自分の娘をレスラーとして育成した父親に関する実話物語。〈印度のアニマル浜口〉! ということにもなるのだが、迫力のある緊迫したレスリング・シーンが凄いというのは勿論のことなのだが、色々な問題が描かれており、面白かった。中国において、 Dangalは公開されて直ぐに印度映画としては史上最高の興行収入を記録している*2。日本での公開は未定のようだが、台湾で観たという人もあり*3亜細亜諸国を旅行する序でに観ることを推奨する。この映画、ディズニーの印度法人が制作しており、ディズニーがグローバルな配給を行っているので、日本での公開の可能性もそう低くはないといえるのでは?
ハリャーナ州の田舎に住むマハーヴィル・シン・フォガット(アーミル・カーン)はレスリングでオリンピックの金メダルを獲ることを夢見ていたが、諸般の事情でレスリングを究めることを諦めた。息子ができたらレスラーにして自分の夢を継がせようと思い、4人も子供を作ったが、何れも娘だったので、その夢も挫折してしまった。しかし、或る日、長女ジータと次女のバビータが男の子をぼこぼこにしてしまう程喧嘩が強いことが分かった。マハーヴィルは2人の娘をレスラーにしようと決意し、彼女たちも父親の命令に仕方なく従い、レスリングの稽古を開始する。彼女たちは、地域社会の人びとの嘲笑や女性蔑視にもめげず、徐々に実力を蓄えて、やがて全印度級のレスラーへと成長していく。
この映画が示すパラドックスは、マハーヴィルは挫折した自分の夢を実現させるために、児童虐待すれすれのことをやりながら、意図せざる結果として、印度女性に対するエンパワーメントを行ったということだろう。この映画の基調として、ムラとしての印度/国民国家としての印度という対立がある。それはまた、主に前半で描かれる印度の土着的な格闘技としての「レスリング」と(後半で焦点化される)近代スポーツとしての「レスリング」の対立とも関わっており、マハーヴィルによる自分の経験に基づいた稽古指導法とナショナル・ティームの合理的で科学に基づいた指導法との対立とも関係している。村々にレスリング道場があり、村人の娯楽としてレスリング試合が行われている。それは日本の角力に近いノリである。女性はリングに入れないとか。この土着的なレスリングと近代スポーツとしてのレスリングは視覚的には砂場とマットの対立として表現されている。また、この映画では近代的なもの、科学的なものは善で土着的なものは立ち遅れた悪であるという構図は採用していないということは指摘しておかなかければならない。寧ろ、国家が上から推進する科学的や合理的は、融通が利かず強権的で陰険なものとして描かれている。勿論、差別的な伝統や因習の打破はスポーツ選手が国際的に活躍することは国家としての印度の名誉であるというロジックで正当化されるわけだけど。
See also


Julie McCarthy “Unexpected Heroines Of An Indian Box Office Hit: Female Wrestlers” http://www.npr.org/sections/goatsandsoda/2017/01/20/510566505/unexpected-heroines-of-an-indian-box-office-hit-female-wrestlers
Sudha G Tilak “Dangal: How a wrestling drama became Bollywood's highest-grossing film” http://www.bbc.com/news/world-asia-india-38570227
Michael Safi “Wrestling drama Dangal beats Bollywood box office records” https://www.theguardian.com/film/2017/jan/09/wrestling-drama-dangal-beats-bollywood-box-office-records-aamir-khan
アンジャリ「Dangal(2016)を観てきました!」http://masala-press.jp/archives/2488
「【Dangal】」 http://popoppoo.exblog.jp/27401393/


ところで、この映画、観る人の立場として、勿論女性/男性、印度人/非印度人という属性(立場)が映画の見方に影響するだろうということはいうまでもないのだが、さらに英国系/非英国系という立場の違いも重要かなと思った。この映画のクライマックスは(オリンピックではなく)Commonwealth Games(英連邦運動会)である。英国及びその旧殖民地の人々にとって、Commonwealth Gamesというのがオリンピックやサッカーのワールド・カップに次いで重要なスポーツ・イヴェントであるというのは知識としては知ってはいても、実感としてはあまりぴんとこない。まあ、高校生が(ドラッカーの本を読むかどうかは知らないけれど)*4甲子園を目指すという野球映画があっても、米国人が観たら甲子園の意味がよくわからないと思うだろうなというのと同じかも知れない。