時代が違う?

http://anond.hatelabo.jp/20110816220206


「炭鉱」が周辺部(郊外)にある「大都市」「S市」って何処なんだろうね。やはり福岡県?
ベッドタウン」化する「郊外」における殖民者(「新住民」)と「原住民」の間の経済的・知的格差から「貧困の連鎖」の問題へ。正直言って、理屈ではわかるのだけどちょっとリアリティを感じることは難しかった。
(以前にも書いたかも知れないけど)東京都内で生まれて、1歳の時に千葉県の総武線沿線の某所に引っ越し、数年前に上海に移住するまで、40年以上そこで暮らしていた。勿論、そこにも「新住民」と「原住民」の対立というのはあった。特に俺の町内は「新住民」というか殖民者が固まって住んでいた地区だった。多くの人にとって、そこに住み着いたのは端的に東京都内で家が買えなかったからにすぎない*1。「新住民」と「原住民」の対立ということで思い出すのは先ず何よりも言語。「原住民」の子どもたちは日常的には千葉の方言を話していたが、「新住民」の子どもたちは標準語しか話せなかった。「原住民」の子だって、学校で教師に指名されたときなどは標準語を話していたわけだから、あちら側はバイリンガルだったわけだ。また、俺の住んでいた町内会には八幡様のお祭*2の神輿が回ってこなかった。これは「原住民」から文化的・宗教的に排除されていたということになる。「新住民」と「原住民」の対立を階級或いは階層の対立と捉えるのはどうなのだろうか。俺の子どもの頃の実感を大人になってから憶えた社会学用語に翻訳すれば、寧ろ新中間層と旧中間層の対立。「新住民」の殆どは(民間であれ公務員であれ)サラリーマンだった。「原住民」にも東京に通勤するという「新住民」と同じ生活構造の家は既に多かったけれど、自営業(商店)や農業もまだ多かった。そして、「新住民」と「原住民」の間に経済的な上下関係はあまりなかったと思う。子どもの頃を思えば、まあどいつもこいつも〈中流〉で、差があるとしても、二階建てか平屋か、乗っている車がカローラなのかコロナなのか、サニーなのかブルーバードなのか、そんな感じだった。なので、大金持ちや貧乏人というのは『巨人の星』のようなアニメの世界なんだと思っていた。ただ、後から思うと、俺の住んでいた市は工業地帯でもあったので、それなりの数の工場労働者が住んでいたのだが、その人たちは大体若い独身者だったので、小中学生との接点はあまりなかったのだ(因みに、かつて工場だった土地の多くは現在ホームセンターになっている)。それから、以前にも書いたことだが、(農家を含む)自営業の子どもの場合、そもそも学校のお勉強にコミットメントする動機付けというかインセンティヴは弱かったのだ。だって、親の商売や畑を継げばいいのだもの。「若い頃は悪さをしても、そのうち歳を重ねれば、商売を継いで旦那となり、旦那衆として地域社会でもそれなりの役割を果たすようになる」という「上層「ヤンキー」」の話を以前したことがある*3。また、「若旦那」でなくとも、ガテン系職人の見習いから始めてやがて熟練していくという途は開かれていたわけだ。多分「原住民」の真の敗北は1990年代だったのだろうと思う。所謂ロードサイド・ショップの隆盛による商店街の衰退。商店街の、子どもの頃からあった、小学校の同級生の実家でもあった商店が軒並み閉店したのは1990年代。俺の知的原点のひとつでもあった駅前の本屋は1990年代初めにミスドになってしまった。小学校の近くの文房具屋も何時の間にかなくなっていた。今の小学生は何処で鉛筆とか絵具とかを買うの? 何が言いたいのかといえば、学力とか学歴を抜きに社会的地位を確保したり・それなりに出世していく経路がなくなったり・狭くなったりしたという前提において、低学歴とか低学力が改めて問題になるということなのだ。

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「増田」に戻る。「増田」の親に600坪もの土地を売った地主はどうなったのか。その金で自分も豪邸を新築し、車も外車に乗り換えたりしなかっただろうか。宅地開発が進む中で少なからぬ〈土地成金〉が出現したのではないだろうか。リアリティを感じなかった理由のひとつは〈土地成金〉の話がオミットされていることである。俺が子どもの頃、特に農家には如何にも土地成金! という感じのパワフルな家に住んでいる人も少なくなかったよ。原発の場合でも、ほんとうの悲劇は「電源三法*4によって莫大な金が地元に注ぎ込まれるところから始まる*5原発に限らず、開発によって使い慣れない大金が突如入ってきてしまうことの地域社会や人格に対する影響の方が寧ろ〈貧しさ〉そのものよりも深刻なのではないか。そういう問題意識を日本文学や日本映画は追及してきた筈なのだ。例えば、立松和平の『遠雷』*6根岸吉太郎による映画化。或いは、宅地開発ではなく工業開発に絡むものだが、茨城県鹿島を舞台とした柳町光男の『さらば愛しき大地
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ところで、地方政治についていえば、「原住民」側が牛耳っていたのではないか。勿論国鉄電電公社の労働者が多い土地では社会党の市議会議員が何人かいたり、創価学会信者が多い土地では公明党の議員が何人かいたりすることはあったけれど、圧倒的多数は「原住民」を背景とする〈保守系無所属〉だったのでは? それに対する不満は、1990年代以降の地域レヴェルにおける政治の変容、例えば新自由主義への大衆的な支持とかポピュリズム的なミニ独裁者の擡頭などと関係がありそうな気がする。