既に裁判の段階

承前*1

栗田良文という男の犯罪が発覚してからひと月あまり経った後に、相模原はさらに悲惨な犯罪(テロ)によって全世界的にその名を知られてしまったのだった。栗田良文の名前は植松聖のために翳んでしまったともいえるのだが、既に初公判の段階に至っていたということになる。
朝日新聞』の記事;


酔い止めと偽り睡眠剤「18のころから何百回もやった」

古田寛也

2016年9月29日18時37分



 酒に酔って駅で寝ていた女性に「酔い止め」とうそをついて睡眠導入剤を飲ませ、相模原市中央区の自宅に監禁してわいせつな行為をしたとして、わいせつ略取などの罪に問われた無職、栗田良文被告(33)の初公判が29日、横浜地裁であった。栗田被告は「わいせつ目的ではなく、女性の髪を触りたかった」と起訴内容を一部否認した。

 弁護側は冒頭陳述で、栗田被告が女性に睡眠導入剤を飲ませて自宅に連れ帰る行為を何度も繰り返していたことを認めた。5歳の頃から女性の髪に強い執着を持ち、高校卒業後は土日になると酒に酔いつぶれた女性を探していたと説明。睡眠導入剤を使わず、髪を触るだけの場合も含めて「何百回もやった」と述べ、「犯行は性依存症などの病気の影響だ」として精神鑑定をするよう地裁に求めた。

 検察側は冒頭陳述で、栗田被告が6月4日午前9時過ぎ、東京都品川区のJR大崎駅のホームで、酒に酔った女性(28)に対し、わいせつ目的で「酔い止めだ」とうそを言って睡眠導入剤を飲ませたと主張。意識を失った女性を電車とタクシーで自宅まで連れ帰って監禁し、わいせつな行為をする様子をデジタルカメラで撮影した、と訴えた。(古田寛也)
http://www.asahi.com/articles/ASJ9Y5FP1J9YULOB01J.html

栗田良文の事件のことを知ったとき、正直言って、訳が分からなかった。こいつ、何がしたかったのか。もしかして、純粋拉致? でも、「弁護側」「冒頭陳述」はこのもやもやをかなりクリアにしているといっていいだろう。要するに、毛髪に対するフェティシズム。毛髪をフェティッシュにするという人は珍しくない。というか、異性愛にせよ同性愛にせよ、性愛において、パートナーの毛髪を愛撫の対象にするというのは決して異常とはいえない。ごく最近でも、以下のような事件が起きている;

電車内で女性の髪を切った疑い 男子高校生を逮捕

2016年6月20日13時36分


 電車内で女性の髪の毛をはさみで切ったとして、神奈川県警は20日、横浜市旭区の私立高校2年の少年(17)を暴行の疑いで現行犯逮捕し、発表した。「性的欲求を満たすためにやった」と容疑を認めているという。

 緑署によると、少年は20日午前7時45分ごろ、横浜市のJR横浜線中山駅鴨居駅間を走行中の電車内で、東京都町田市の女性会社員(25)の髪をはさみで切った疑いがある。少年と女性に面識はなく、女性が被害に気づいたという。

http://www.asahi.com/articles/ASJ6N4DQVJ6NULOB00D.html (Cited in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160621/1466514890

また、エドマンド・リーチなどがいうように、多くの文化において毛髪は性的エネルギー(精神分析風の言葉遣いをすればリピドー)の象徴とされている(Cf. 『文化とコミュニケーション』etc.)。だからこそ、日本文化においても、AKBの峯岸みなみの場合のように、〈丸坊主〉になるというのがお詫びのパフォーマンスとして機能するわけだ*2。また、毛髪のシンボリズムについては、本田和子先生の「「振り分け髪」の抄」(in『少女浮遊』、pp.59-88)*3をマークしておく。話を戻すと、「弁護側」のいう「女性の髪」へのフェティシズムというのは納得できるものではあるが、それと「性依存症」とは話が別だろうと思う。「依存症」は個人の責任能力を奪うものではない。検察側は事件を大胆に〈世俗化〉したといえる。検察側の主張に従えば、栗田良文はただのというか、ごくノーマルな、つまらないレイピストだということになる。こう主張するということは、「わいせつな行為をする様子をデジタルカメラで撮影した」画像を、検察側は物証として握っているということなのだろう。
文化とコミュニケーション―構造人類学入門 (文化人類学叢書)

文化とコミュニケーション―構造人類学入門 (文化人類学叢書)

少女浮遊

少女浮遊