流れ流れて、じゃなかった

『ハフィントン・ポスト』に転載された『朝日新聞』の記事;


ポリタンクにつかまり北朝鮮から山口県へ漂着 25歳男性、保護求める
朝日新聞デジタル | 執筆者: 朝日新聞社提供
投稿日: 2016年07月17日 11時16分 JST 更新: 2016年07月17日 11時22分 JST



脱北者か、男性が漂着 山口・長門、保護求める

山口県長門市の仙崎港に16日、脱北者とみられる男性が漂着したことが、捜査関係者への取材でわかった。男性は山口県警の調べに、北朝鮮国籍の25歳で脱北の意思があると説明、保護を求めているという。

捜査関係者らによると、16日正午ごろ、男性が1人で仙崎港にいたところを県警が確保した。男性の説明では、3日前に北朝鮮清津市を出発し、15日午後9時ごろに知人の木造船で日本の海域に到達後、ポリタンクにつかまって海に飛び込み漂流。16日午前6時ごろに仙崎港に上陸したという。「北朝鮮で韓国の映像を見ていたのが発覚し、警察から逃げ回っており、脱北するしかないと思った」と話しているという。
朝日新聞デジタル 2016年7月17日00時10分)
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/16/north-korea-refugee-in-yamaguchi_n_11036158.html

タイトルはミスリーディングだよ。「北朝鮮から」「ポリタンクにつかま」って「山口県へ」やってきたわけじゃないじゃん。先ず船に乗って、「日本の海域」に来て、その後「ポリタンク」で「仙崎港」へというわけだ。北朝鮮の中でも「清津*1といえば北の北、露西亜国境の近く。そこから山口県まで、北朝鮮当局も韓国軍も日本の海上保安庁自衛隊も気づかなかったわけだ。ところで、この清津で生まれた有名な日本人としては宝田明とか(ヨット・スクールの)戸塚宏*2がいるわけだ。男性が「上陸」した山口県の「仙崎港」はそもそも(北朝鮮港湾都市である清津に対応するかのように)朝鮮半島を含む外地と浅からぬ縁を持っていたわけだ;

太平洋戦争終戦後、海外邦人がかつての領土から本土へ引き揚げるにあたり、かつて関釜連絡船として就航していた興安丸が母港として釜山と仙崎・博多港を往復したことから、仙崎港は引き揚げ港として知られることになる。仙崎港で受け入れた引き揚げ者は413,961人で、博多港佐世保港舞鶴港浦賀港に次ぐ5番目の人数で、葫蘆島、上海、釜山からの上陸者が多かったという。逆に朝鮮、台湾など祖国へ帰還する在日外国人の送り出し港としての役目も果たしており、送り出し人数339,548人は博多港に次いで2番目に多い人数である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%B4%8E
なお、仙崎は金子みすゞ*3の生まれ故郷であった。
彼がポリタンクにつかま」らざるをえなくなった原因である北朝鮮における「韓流」狩りについては、先代(金正日)の時代ではあるが、1回採り上げたことがある*4