- 作者: 鴻巣友季子
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鴻巣友季子「古典が見せる新しさ」(in 『翻訳のココロ』*1、pp.142-144)
村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を巡って;
村上春樹訳は読んでおらず、私が読んだのは上で謂うところの「旧訳」、「やっこさん」という三人称が出てくる野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』*2。
ことにyouの訳し方ひとつで、こんなにも作品の視点と世界観が変わるとは。旧訳では、モラトリアムにある少年のレジスタンス――そのもどかしさこそがこの小説のコアであり、共感の源だった。そう、それは無力ながらレジスタンスには違いなかったのだが。
村上春樹の訳では、youを自分自身への呼びかけのように訳すことで、抵抗は外に向かわず、内へと引きこもり、どこかニューロティックな様相を帯びた。村上訳で『ライ麦』はレジスタンスであろうとすることをやめた。それによって、うっ積する熱エネルギーがひたすら自己循環するような、不気味な、不穏な雰囲気が強まったようだ。
英語で書かれた小説にはときとして「謎」のyouが登場する。不特定の、たとえば読者への呼びかけなのか、特定の相手がいるのか判然としないまま物語が進んでいき、ある時点で”タネあかし”がされるという仕掛けが多い。
サリンジャーのyouには語りのトリック的な役割はないだろうが、村上春樹の新訳がいまの時代に「読まれたがっている部分」を引き出したことが重要ではないだろうか。ともあれ、内向する現代文学のある側面を新訳ははっきりと映し出しているのは確かだ。言い換えれば、村上春樹が翻訳者という反射板になって『ライ麦』という物語からいまの時代のある「相」を照らし出した。そんな構図が見えてくるのである。(pp.143-144)
- 作者: J.D.サリンジャー,野崎孝
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- 作者: 小此木啓吾
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*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150323/1427091367
*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100129/1264744945 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130601/1370019915 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130603/1370187462 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131207/1386372516
*3:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111024/1319430943