父は「一徹」ではなかった

いやはやほんとうに「飛雄馬」という野球選手がいるんだね*1。松井飛雄馬。父親が「一徹」*2で、姉が「明子」だったら、麦酒を吹き溢すくらい笑ってしまうのだけれど、父親は「一弥」か*3。がっかり。「飛雄馬」というと、アメリカ大陸の猫科であるピューマを思い出す。スポーツ・ブランドのPumaはピューマではなく仏蘭西語読みでプーマと念むべきなのだろうけど、 松井飛雄馬がPumaの靴を履いていたら、また笑ってしまうだろう。
ところで、


河崎環「角界「キラキラ四股名」は壇蜜の成功にならってヨシ」http://allabout.co.jp/newsdig/w/53683


式秀部屋の「キラキラ四股名」の話から〈キラキラネーム〉*4の肯定へ。
曰く、


というのも、四股名もいわば芸名、源氏名なのである。芸名というのは、商品たるタレントを一般の方々の温かく潤った懐へズバンと投げ込み可愛がってもらうために、シロートを人前で演れる人間に仕立て、魅力的なタレントとして記憶に残らせることが最優先課題。つまり芸名も源氏名四股名も、それぞれの業界のセンスに則ってキラキラしてるのが身上なのだ。

壇蜜を見るとわかる。齋藤支靜加(さいとうしずか)などというごくフツーのお嬢さんらしい名前にキレイな顔と露出で芸能界に出ていても、これほどの売れ方はしたわけがなかったし、実際しなかった。壇蜜などというエロスの塊のような字面と響きのインパクトが、彼女を視聴者の懐へと届けたのだ。


どれだけ「日本語の感覚にそぐわない」バタ臭い名前だろうと、「人間の子どもにつけるなんてふざけている」ヲタクキャラクター名だろうと、そもそも人間の「名付ける」という行為目的が、「俺/私の所有」とマーキングしカスタム愛玩することに起因している限り、名づける側が「これがイイ」と言うのなら、ほぼ仕方ないのだ。

倫理道徳的に問題があるのでない限り、結局はそれを耳にし目にした側の好き嫌いでしかない。そして世間様が「イイね!」と「共感」すれば翌年の赤ちゃん名づけランキングに上位入りするというだけのことだ。やっぱり和名回帰が上品、としたり顔で語ろうとも、歴史レベルで見たら吹けば飛ぶような流行り廃りに過ぎない。

ならば、みんなが大好きな空気を読んで、当たらず触らず無難でいかにも凡庸な子どもに育ちそうなつまんない名前よりは、多少いろいろ言われようとも知恵を絞るなり親の「個性」がほとばしり出ちゃったり、創意工夫の見られる名前の方を「おっ、父さん母さん考えたんだね!」と評価したい。