「居丈高な大阪のオッサン」

かなり時間が空いてしまったが。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150227/1425009028に対して、


nessko 2015/02/27 20:23
私も、やしきたかじんの歌は聞いた記憶がないです。
司会者としても、近年話題になったあの番組を何回か観ただけで、他知らないのですよ。
大阪では人気があったのでしょうかね?
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150227/1425009028#c1425036237

kodebuya1968*1 2015/02/28 09:54
id:nesskoさん
歌手というより、歌うラジオのパーソナリティのイメージが強いですね。
メジャーヒットした「砂の十字架」なんて本人が自虐ネタにしていたくらいですし。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150227/1425009028#c1425084859
やしきたかじんをあまり知らないのは私だけはないのね、という妙な安心感。ところで、ばんばひろふみも(私の世代では)「歌うラジオのパーソナリティのイメージが強いです」よ。或いは、谷村新司の子分。
さて、スージー鈴木「「居丈高な大阪のオッサン」だけに大阪文化を代表させてはいけない。」*2からメモ;

ただ、一歩引いて思うのは、そもそも、やしきたかじん百田尚樹が、なぜ、ここまで世間的に注目される人物になったのか、なれたのかという疑問である。 ここで、この二人の、ある共通項に着目する―――「居丈高な大阪のオッサン」。

居丈高(いたけだか)=威圧的、粗暴。そして、そんな性分の象徴として、大きな声で、怒鳴るように話す感じ。

特に大阪において、この10年ほどの間、「居丈高な大阪のオッサン」を過度に持ち上げる風潮があったと思う。そして、当のそのオッサンたちは、大阪人のシンパシーを効率的に獲得する手立てとして、「反・東京」的言説を上手く使う。

そんな「居丈高な大阪のオッサン」のグループに、橋下徹や、ちょっとニュアンスは違うが、辛坊治郎なども入る気がするのだが。

ワタシが耐えられないのが、他の地域から見たときの、大阪文化のイメージ全体が、その「居丈高」な感じ、「やしき・百田」的な感じに集約されつつあるような気がすること。更に耐えられないのは、そういう傾向を、当の大阪人自身が歓迎しているように見えることである。

例えば、JR大阪駅の発車ベルが《やっぱ好きやねん》になっていることなど、個人的には論外と思うのだが、もし住民投票すると、残念ながら、かなりの確率で、賛成票が多数になると思う。

そういえば、百田は、『探偵!ナイトスクープ』のチーフライターである。大好きな番組で、今でも毎週観ているのだが、見方を変えればこの番組も、「大阪人は必ず家にタコ焼き器を持っている」的な「一面的な大阪人観」をまき散らしたフシがあって、そういう大阪人観と「やしき・百田」的なあれこれは確実につながっていると思う。