最初の憲法記念日など

柴逸扉「中国首迎”国家憲法日”」http://paper.people.com.cn/rmrbhwb/html/2014-12/04/content_1506554.htm
劉歓、李雲路、王暁鵬「中国迎来首個国家憲法日」http://www.jyb.cn/china/gnxw/201412/t20141204_606457.html


意外なことに、中国にはこれまで〈憲法記念日〉というものがなかった。今年から毎年12月4日が「国家憲法日」になる。現行の「中華人民共和国憲法*1が1982年12月4日の「第五届全国人民代表大会第四次会議」で可決されたのを記念したもの。但し、休日ではない。
ところで、中国語の「憲法」は日本語からの外来語といえるのだが、この「憲法」というのはconstitutionのとても出来の悪い訳語ではないだろうか。赤坂真理は次のように書いている;


(前略)「憲法」の「憲」の字の意味を、私は知らなかったのである。言葉の成り立ち自体を、知らないのだ。「官憲」の「憲」と言ったって同じことだ。憲のイメージしか出てこない、意味を言えない。そこで訊いてみた。周りの人々に。
憲法の憲って、どういう意味か知ってる?」
説明してくれた人は0%だった。母親、身近な編集者、友人の新聞記者、年配の知識階級、一般水準より言葉を知っていそうな人たちに訊いたのである。その数約二十人。
漢字学者なら知っているだろう。しかし、そこまでの専門家しか知らないことは、その社会に浸透しているとは言えない。私たちは、自分たちの使っている言葉についてうまく言えないのだ。
そして、かなり確信を持って言えるのは、ほとんどの「憲法学者」は、「憲法の憲ってどういう意味?」というこの問いには答えられないだろう、ということである。(『愛と暴力の戦後とその後』、pp.50-51)

「憲」って、本当にどういう意味なんだろう?
たった一人、即答してくれた人がいた。その人はフランス文学者だった。
「『憲』は、おきてという意味だから、憲も法も同じようなことを言っていることになりますね」
なんてことだろう、「憲法」には、私たちが「憲法」と思っているような意味は本来、ない!
二十人くらい訊いて、最後にたった一人答えられた人が教えてくれたのは、そういうことだった。(p.240)
因みに、「憲」も「法」も訓読みすればノリになる。「護憲」にせよ「改憲」にせよ、憲法の憲が官憲の憲であったり憲兵の憲であったりすることを不思議に思わないというのはどうにかしている。赤坂さんはconstitutionは「国家構成法」と訳すべきだと考えているようだ(p.239)。本来は、「法」を使うべきではないのだろう。「憲法」といってしまうことによって、刑法とか民法とか商法といった一般的な法律と同列にしてしまうことになるのでは? 一般の法律よりもちょっとだけえらいみたいな。しかし、憲法は、どんなに民主的な手続きに則り、国民の絶大な支持を集めた法律であっても、〈違憲〉の2文字によって瞬時に葬り去ってしまう力を有している(筈なのだ)。これもエグい言葉ではあるが、〈国体〉と訳すべきではないかと思うのだ。ともかく、「憲法」という言葉が誤訳に近い欠陥翻訳であることは否めないだろう。「憲法」についてまともに思考しようとすれば、constitutionへ逆英訳(或いは仏訳)するしかないということになるか。