呉清源

朝、新聞を買ったら、一面で「棋聖呉清源的百年人生」という文字列が目に飛び込んできた*1呉清源さん*2が100歳で亡くなったのだった。
『読売』の記事(囲碁といえば読売だろうということで);


昭和最強の囲碁棋士呉清源さん死去…100歳
2014年12月01日 03時00分


 囲碁の革命といわれた「新布石」を編み出し、戦前から戦後にかけて読売新聞社主催の打ち込み十番碁で無敵を誇った昭和最強の棋士呉清源(ご・せいげん)さんが、30日午前1時11分、老衰のため神奈川県小田原市内の病院で亡くなった。100歳だった。

 告別式は近親者で行い、後日、お別れの会を開く予定。喪主は次男、昌樹氏。

 1914年、中国福建省生まれ。碁の才能が認められ、14歳で来日。翌年、日本棋院からいきなり三段を許された。50年九段。79年、日本に帰化

 33年、木谷実五段(当時)と共に、隅の締まりを重視した従来の布石に対し、盤面の中央を志向する「新布石」を発表。現代碁の骨格をつくった。

 39年に読売新聞社主催で打ち込み十番碁が始まり、日本のトップ棋士延べ10人を相手に戦った。打ち込みとは、1人と10局を打ち、どちらかが四番勝ち越した時点で、次戦以降、負けた方が格下扱いされる制度。呉さんは56年の終了時までに全員を打ち込み、囲碁界の第一人者として君臨した。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20141130-OYT1T50103.html

また、『朝日』の記事;

呉清源さん死去、中国でも報道 「日中の交流に尽力」

北京=倉重奈苗

2014年12月1日12時14分


 日中の囲碁界に多大な影響を与えた呉清源さんの死去は、中国国内でも関心をもって伝えられた。国営中央テレビは1日朝、呉さんが1914年に中国・福建省で生まれ、7歳から囲碁を始めた経歴を紹介。「1939〜56年の17年間は全日本で最強7人に勝ち、『昭和の碁聖』と呼ばれた。現代の囲碁界に革命的貢献をし、中日の文化交流に力を尽くした」と悼んだ。

 共産党機関紙・人民日報系の国際情報紙「環球時報」などによると、11月には呉氏の100歳を祝う会が北京市内であり、王汝南・中国囲碁協会主席のほか、中国の物理学者や京劇役者ら数百人が祝いに駆けつけた。また、中国人民対外友好協会は8月、呉氏に「平和発展貢献賞」を授与。呉さんを囲碁の国際化と中国囲碁界の発展を促したとたたえた。(北京=倉重奈苗)
http://www.asahi.com/articles/ASGD13Q6DGD1UHBI00F.html

『レコード・チャイナ』の記事;

「碁の神様」呉清源さんが死去、演じた俳優チャン・チェンが哀悼メッセージ―台湾

Record China 12月2日(火)11時57分配信



2014年12月1日、「碁の神様」と呼ばれた呉清源(ご・せいげん)さんの訃報について、映画で呉さんを演じた台湾の俳優チャン・チェン張震)が哀悼メッセージを発表した。聯合報が伝えた。


「昭和の棋聖」「碁の神様」と呼ばれた呉清源さんが先月30日、老衰のため神奈川県内で死去。享年100歳だった。呉さんは中国・福建省に生まれ、14歳で来日。碁の才能を開花させ、革命的な「新布石」を発表し、「日本最強決定戦」で優勝するなど圧倒的な強さで多くのファンを獲得した。79年には一度戻していた中国籍から、再び日本国籍を取得している。

07年の映画「呉清源〜極みの棋譜〜」で呉さんを演じたのが、映画「レッドクリフ」などで知られる台湾の俳優チャン・チェン。日本で行われたキャンペーンでは、当時93歳だった呉さんも車椅子で姿を見せ、チャン・チェンを驚かせている。

1日、チャン・チェンは自身のミニブログで哀悼メッセージを発表。「呉先生はいつも人よりずっと前を歩いているような方だった。今は違う場所で、引き続き囲碁を研究されているのだろう」と記している。呉さんが語った「碁は勝負や競争ではなく、碁石の調和だ」という言葉が忘れられないという。(翻訳・編集/Mathilda)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141202-00000021-rcdc-asent

たしかに、田壮壮の『呉清源』は張震にとって、役者としてのキャリアを劃する作品であった。なお、映画の冒頭にも、(リアルな) 呉清源さんへのインタヴュー・シーンがある。
呉清源 極みの棋譜 [DVD]

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See also
張棉棉「昭和棋聖呉清源先生逝世 各界悼念」http://china.cnr.cn/xwwgf/201412/t20141201_516941519.shtml