団塊ジュニアだった

『デイリースポーツ』の記事;


りえ悲痛 最愛の母死去 “一卵性母子”と呼ばれた強い絆

デイリースポーツ 9月24日(水)23時54分配信


 
 女優の宮沢りえ(41)の母親で所属事務所社長を務め、“りえママ”の愛称で知られた宮沢光子さんが23日、肝腫瘍のため亡くなった。65歳だった。24日夜、りえが事務所「エム・ツー企画」を通じ、直筆署名入りのファクスで報告した。光子さんは肝腫瘍の診断を受け、自宅療養中だった。通夜、葬儀は密葬にて近親者のみで執り行ったという。

 りえは、ファクスで「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います。」と最愛の母への思いを書面にしたためた。

 りえと光子さんは“一卵性母子”とも言われた。オランダ人の父親が母子の元を去ってからは、母1人娘1人、固い絆で生きてきた。

 りえは11歳で芸能界デビュー後、光子さんのプロデュースのもと、めきめきと頭角を現した。仕事は全て光子さんが決め、人間関係もプロデュースしてきた。

 その濃密な関係から、りえは時に反発し、親子の絆断絶かという時期もあったが、最終的には光子さんのプロデュースのもと、役者として、女性として歩んできた。

 10代の時に話題を集めた「ふんどしカレンダー」や、人気絶頂だった91年、18歳の時に出版し衝撃を呼んだヘアヌード写真集「サンタフェ」などはすべて光子さんのプロデュースによるものだ。

 92年には当時関脇だった貴花田(現貴乃花親方)と婚約したが93年1月に婚約解消するなど波乱の人生を送るりえ。13年5月、天海祐希心筋梗塞のため降板した舞台「おのれナポレオン」の代役をりえが務めた際には、千秋楽を劇場で見守り、記者の「りえさんの演技はいかかでしたか?」の問いかけに、両手で大きく丸を作り、OKサインを出していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140924-00000088-dal-ent

シネマトゥデイ』の記事;

宮沢りえの母・光子さんが死去 65歳 りえ、感謝の思いをつづる

シネマトゥデイ 9月25日(木)11時22分配信


 25日、宮沢りえの実母で、長年にわたって宮沢の芸能活動を支えてきた宮沢光子さんが亡くなったことが事務所のファックスを通じて報じられた。

 光子さんは、宮沢りえが所属するエム・ツー企画の代表取締役。事務所のファックスによると、光子さんは肝腫瘍の診断を受け自宅療養中だったというが、23日に享年65歳で永眠。通夜、密葬の儀は近親者によって行われた。

 母の訃報を受け、宮沢りえは「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」と社長として、母として、宮沢の芸能活動を支えた光子さんへの感謝の気持ちをファックスにつづっている。

 現在、宮沢は蜷川幸雄演出の舞台「火のようにさみしい姉がいて」の東京公演に出演中。11月15日には映画『紙の月』の公開が控えている。(編集部・石井百合子
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140925-00000011-flix-ent

三井のリハウス」のCMのとき、宮沢りえ*1は14歳だった。それが現在、41歳。当時20代だった私は現在50代。宮沢りえの年齢から自分の加齢を思い知ってしまった。当時は全然意識していなかったけれど、宮沢光子さんは所謂団塊の世代で、宮沢りえ団塊ジュニア*2だったわけだ*3
ところで、最近宮沢りえが(脇役ながら)出演した映画を立てつづけに(飛行機の中で)観ていたことに気づいた――『謎解きはディナーのあとで*4、『魔女の宅急便』(実写版)*5
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さて、こちらの方は、細かい事情など知る由もないが、突然旦那様にイレギュラーな仕方で逝ってしまわれた衝撃は察するに余りあり、唯々ご愁傷様でしたとしか申し上げることはできない;

上原多香子の夫TENNさんが自殺か なぜ?前日から曲作り開始

スポニチアネックス 9月25日(木)15時18分配信



 歌手でタレントの上原多香子(31)の夫でヒップホップグループ「ET―KING」のメンバー、TENN(テン、本名・森脇隆宏)さん(35)が大阪市内で心肺停止状態で見つかり、その後死亡が確認された。警察では自殺とみて調べている。


 25日午前7時半ごろ、大阪市天王寺区の自宅マンション駐車場の車の中で、TENNさんが首をつった状態でいるのを発見。救急車を呼んだが、すでに心肺停止状態で、死亡が確認された。遺書のようなものもあったといい、自殺とみられる。

 ET―KINGは、99年に結成したヒップホップグループ。大阪を中心に活動し、「ギフト」「愛しい人へ」などが代表曲。12年に上原と結婚。今年から活動を停止していたが、TEENさんの24日のブログには曲作りに入ったことを報告する内容がつづられていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140925-00000094-spnannex-ent