五体投地へ!

『読売』の記事;

半沢直樹謝罪の王様…蔓延の土下座、危うさも

 相手にひざまずき、服従の意まで表す「土下座」が今、注目を集める。

 これにちなむ映画や漫画などが人気を呼ぶ一方、土下座をさせたとして強要容疑などで逮捕されたり、裁判で賠償を命じられたりする事例も相次ぐ。識者からは「相手に完全な降伏を求める不寛容な心理の表れでは」と危険視する意見も出ている。

 9月末公開の映画「謝罪の王様」は、主演・阿部サダヲさんが架空の職業「謝罪師」として、けんかの仲裁から国家の危機まで、土下座など謝罪テクニックを駆使して解決していく。

 公開20日余りの観客動員数が130万人を超えるなど「非常に好調」(配給会社)だ。プロデューサーの飯沼伸之さんは「形式的でもまずは謝罪が求められる社会への風刺を込めた。単なるコメディーとして笑うのではなく、蔓延(まんえん)する土下座に社会が違和感を感じているのではないか」と話す。

 高視聴率だったTBS系ドラマ「半沢直樹」でも、土下座シーンが注目を集めた。高校教師が土下座でトラブルを切り抜ける漫画「どげせん」は2011年に全3巻が刊行され、発行部数は約70万部を誇る。

 最近では、東京電力の社長(当時)が原発事故の避難所で土下座した。阪急阪神ホテルズ大阪市北区)がメニュー表示と異なる食材を使用していた問題では、インターネットの掲示板に「なぜ社長が土下座しないのか」などの書き込みがあふれる。

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 土下座はいつから、一般社会で使われるようになったのか。土下座の歴史を考察した著書がある戯作者、パオロ・マッツァリーノさんは「明治時代までは宗教儀式か、高貴な人に畏敬の念を表す場合のみでした」と説明する。

 流れが変わったのは大正後期以降。人気時代小説で土下座のシーンが頻繁に登場するようになり、庶民の間で謝罪や懇願のために広まったという。

 さらに、マッツァリーノさんは、1990年代にはトレンディードラマで俳優が土下座をするシーンが注目を集め、2000年以降には「謝罪会見」という表現が目立つようになった、と指摘。「釈明ではなく謝罪を求めるのは日本独特の風潮。その傾向が近年強くなった」と分析する。
(2013年10月27日09時34分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131026-OYT1T00631.htm

パオロ・マッツァリーノ*1の談話を取っているけれど、「土下座の歴史を考察した著書」って何だったっけ。1990年代において印象に残った土下座というのは2つあって、ひとつは薬害エイズ事件で(たしか)ミドリ十字の関係者が行った土下座。戦後日本において、選挙の候補者が(多くの場合妻子も一緒に)支持者に対して行う土下座というのがあった。1993年に小沢一郎自民党を脱党し新生党を結成したが、NHK新生党にとって初の選挙に密着したドキュメンタリーを制作していた。小沢一郎は九州の某新人候補のところに〈選挙の神様〉とか呼ばれた選挙参謀を送り込み選挙運動を指導させた。そして、その〈神様〉指導による選挙戦の〆がやはり土下座パフォーマンスだったのだ。因みに、私が小沢一郎について有している偏見の幾分かはこのドキュメンタリーに由来している。
ところで、「宗教儀式」としての「土下座」って五体投地のことだろうか。印度やチベットは勿論のこと、中国や韓国でも仏教的礼儀(身体技法)としての五体投地は生きているというのに*2、日本では稀薄になっている*3。「土下座」が意味するのは謝罪であったり弱者の哀願であったりする。他方、五体投地が意味するのは感謝、崇拝なのである。ネガティヴとポジティヴ。
「高視聴率だったTBS系ドラマ「半沢直樹」でも、土下座シーンが注目を集めた」のか。『半沢直樹』ってスーツを着た時代劇でもあるわけですよね*4ノーパン・ミニスカで山手線一周だ! だとその様式美に反するということだろうか。