清張旧居

『毎日』の記事;


松本清張>小倉の旧居取り壊し 空き家で危険として

毎日新聞 9月28日(土)15時1分配信
松本清張>小倉の旧居取り壊し 空き家で危険として


 北九州市出身の作家、松本清張(1909〜92年)*1が住んでいた木造平屋の旧居(同市小倉北区黒住町)が解体され、住宅建設が進んでいることが分かった。「空き家で火災が起きる可能性もあり危険」などとして先月、建設会社に売却されていた。市立松本清張記念館によると、清張が暮らしたのは半世紀以上前で改築され「当時の面影はない」という。ただ、清張ファンからは「清張文学の原点であり残念」と惜しむ声も出ている。


 旧居(約50平方メートル)は1936年ごろ建てられ、旧小倉陸軍造兵廠(しょう)の職員住宅として使われた。清張は朝日新聞西部本社在職中の45年末に旧居を借り、52年に購入。53年11月に東京本社へ転勤するまでの約8年間、家族と暮らした。文壇デビューを果たした「西郷札」(50年)や芥川賞受賞作「或(あ)る『小倉日記』伝」(52年)なども、ここで執筆したとされる。

 旧居は同僚の手に渡り、同僚の死後、長女らが暮らしていたが、その長女が2007年に亡くなり、以来、空き家になっていた。

 10年、地元の市民グループ「清張の会」が長女の遺族から旧居を借りて公開。さらに北九州市に対し買い取りと保存を要請した。しかし市は清張の遺族に「当時の面影が残っていない」と言われ、購入しなかったという。

 一方で同会の上田喜久雄事務局長(70)が体調を崩し、旧居保存運動は停滞。昨年12月、賃貸契約が解除され、長女の遺族は「空き家で管理する者もおらず危険」と判断し先月、建設会社に売った。

 松本清張記念館*2の木村継男副館長によると、旧居は改築などで清張が住んだ面影は無く、遺族も公開に反対していたという。清張作品に詳しい小林慎也・元梅光学院大特任教授(文章表現)は「作家として一歩を踏み出した場所とはいえ家自体は普通の建物。保存の意味はないのではないか」と述べた。

 これに対し、清張の会の上田事務局長は「デビュー作を書いた清張の息づかいが伝わる場所だった」。城山三郎経済小説大賞受賞者で、3度にわたる松本清張賞候補作家、指方(さしかた)恭一郎さん(52)=北九州市=は「保存活動がうまくいかなかったのは寂しい。支援の道は無かったか」と残念そうに話した。【降旗英峰】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130928-00000049-mai-soci

西郷札 (新潮文庫―傑作短編集)

西郷札 (新潮文庫―傑作短編集)

或る「小倉日記」伝 (新潮文庫―傑作短編集)

或る「小倉日記」伝 (新潮文庫―傑作短編集)

そもそも若き日の松本清張が復員後に住んでいた家が「改築」されているとはいえ、今まで残っていたこと自体が驚きだ。しかも戦前に建てられた「木造平屋」だ。上の記事には、既に更地になった写真しかない。建物の写真がなければ、読者は「保存の意味」があるのかないのか判断できないではないか。http://blog.goo.ne.jp/noyamany/e/05630c9ae8c43e20a69b901541064ef0に写真あり。「家自体は普通の建物」だから「 保存の意味はないのではないか」とは、小林慎也という方、〈ファンの世界〉を理解していないということではないか、と思った。
ところで、昨年には「旧居」の隣家が火事になって、「旧居」の壁も焦げてしまったということがあったようだ。「空き家で火災が起きる可能性もあり危険」というのはこのことを踏まえているのだろう。
スポニチ』の記事;

松本清張氏旧居の壁焦げる 隣家で火災、1人けが


 北九州市小倉北区黒住町の民家から7日午前8時45分ごろ出火、木造平屋48平方メートルが全焼し、住人の無職大石キミ子さん(83)が軽いやけどを負った。隣接する作家松本清張氏の旧居の外壁やひさしも焦げ、窓ガラス6枚が割れた。

 昨年12月から行われている一般公開に支障はないという。清張氏は約8年間住み、デビュー作「西郷札」や芥川賞を受賞した「或る“小倉日記”伝」を執筆。作家として出発した原点の家とされる。小倉北署によると、大石さんは「居間で石油ストーブに火をつけているときに燃え上がった」と話している。
[ 2012年2月8日 06:00 ]
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/02/08/kiji/K20120208002592380.html