ひつじ

『読売』の記事;


5世紀末の須恵器に刻まれた文字確認…国内最古

 石川県能美市和田山23号墳で出土した5世紀終わり(古墳時代中期)の須恵器2個に、文字が刻まれていたことが分かった。

 同市教委が19日発表した。古墳時代から平安時代にかけて作られた須恵器で確認された文字としては、国内最古という。

 市教委によると、文字は「未」と「二年」の二つ。「未」は高さ約15センチのツボの胴部分に縦横約2センチの大きさで、「二年」は直径約12センチの高坏(たかつき)の蓋に縦3・5センチ、横1・3センチの範囲で刻まれていた。いずれも1977年に同23号墳の周溝(しゅうこう)から発掘され、今回、再調査で文字が確認された。同23号墳は直径約23メートル、高さ約3メートルの円墳で、国史跡「和田山・末寺山古墳群」の一つ。
(2013年9月20日15時06分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130920-OYT1T00293.htm

「未」は〈いまだ〜ない〉という副詞なのだろうか、それともヒツジなのだろうか。「5世紀終わり」の日本列島に十二支という観念は渡来していたのだろうか。或いは「末」と「未」を混同したのだろうか*1。そんなことをつらつらと考えた。
ところで、「須恵器」という言葉の語源。陶器の陶をスヱと訓ずるけど、いったい何故スヱというのかずっとわからなかった。ネットで検索しても、納得できる情報はなかった。
Yahoo!知恵袋』の

「須恵器」の「須恵」について

noto_kaga_kanazawaさん

「須恵器」の「須恵」について

土器の一種で須恵器というのはありますが、「須恵」という呼び名の語源はなんですか?

弥生式土器」の「弥生」は最初にこの形式の土器が発見された場所が東京の弥生町だったから、と聞いたことがあります。福岡県に須恵町という町がありますが、「須恵器」の「須恵」はその町と関係があるのでしょうか?

よろしくお願いします。

という質問*2。答えに曰く、

rosenritterdreirotさん

須恵器の「スエ」の語源はよく分かっていませんが、「鉄」のことを朝鮮語で「スェ」と発音するので、「鉄のように硬い」から須恵器と呼ばれたという説があります。
また、平安時代には「陶器」と書いて「すえもの」「すえうつわもの」と読まれていたようです。そのため陶器(とうき)と混乱を避けるため、現代の考古学用語としては「須恵器」が一般化しているとも言われています。

須恵町の須恵という地名の起こりは、須恵器生産に由来しています。古代の陶工を業としていた「陶部」の集落、須恵器の生産地を表した名前です。
室町時代には須恵庄とか須恵村の名前で存在していたようです。

「スエ」ではなくてスヱだということはあるのだが、「鉄」との関連でいうならば、やはり色だろう。Wikipediaに曰く、

土師器までの土器が日本列島固有の特徴(紐状の粘土を積み上げる)を色濃く残しているのに対し、須恵器は全く異なる技術(ろくろ技術)を用い、登窯と呼ばれる地下式・半地下式の窯を用いて還元炎により焼いて製作された。それまでの土器は野焼きで作られていた。このため焼成温度(800〜900度)が低く、強度があまりなかった。また、酸化焔焼成(酸素が充分に供給される焼成法)となったため、表面の色は赤みを帯びた。それに対し、須恵器は窖窯(あながま)を用い1100度以上の高温で還元焔焼成する。閉ざされた窖窯の中では酸素の供給が不足するが、高熱によって燃焼が進む。燃料からは、酸素が十分なら二酸化炭素と水になるところ、一酸化炭素と水素が発生する。これが粘土の成分にある酸化物から酸素を奪う、つまりは還元することで二酸化炭素と水になる。特徴的な色は、粘土中の赤い酸化第二鉄が還元されて酸化第一鉄に変質するために現れる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E6%81%B5%E5%99%A8
また別の答え;

onia222さん

rosenritterdreirotさまのご回答が正解だと思います。其れに補足すれば
堺市に昔、「陶村」があり、崇神天皇の時にその村から太田田根子命が出て

元出雲である大和の三輪山国津神を祭る祭主に選ばれました。
先の陶地区で生産されていた土器をスエと呼び、また藤井寺

土師(はじ)で造られた土器をハジキと呼びました。以後各地にこれらが伝搬してスエやハジの地名として
残りましたので、恐らく福岡県の須恵町という町も、「須恵器」の「須恵」からのものと思われます。

「陶村」*3で作られていたから「スエ」なの? (我が母方の先祖でもある*4)「土師」に関しては、

古代の豪族。埴輪(はにわ)の製作,陵墓(りょうぼ)の造営,大王(おおきみ)の葬送儀礼などに関与した。その名はハニ(土器などを製作する粘土)に由来し,ハニで作られるのが埴輪や土師器(はじき),その工人をハニシという。土師氏の居住地と陵墓の分布はかなりの対応をなしているが,元来は居住地に住む住人相互の間には血縁関係はなかったようで,のち土師連(むらじ)の支配下に入って,同一氏族であるかのような主張をしたとみられる。奈良後期から末期にかけて,居住地を本拠として菅原氏・秋篠氏・大枝(おおえ)氏(大江氏)となった。
http://www.seadict.com/ja/ja/%E5%9C%9F%E5%B8%AB%E6%B0%8F%28%E3%81%AF%E3%81%98%E3%81%86%E3%81%98%29
という説明の方が納得できる。埴輪のハニ。

*1:この2つの字、また「土」と「士」を混同したことがある人は多いのでは?

*2:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13108215668

*3:正しくは「陶邑」。

*4:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130417/1366211836