「でも」は重要、など

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130828/1377710677に対して、


erisinokameus*1 2013/08/29 09:43
愛国先生(id:aikoku_sensei)のツイッターに「片山先生の言うとおりだと思います。shiやtsuでなく、siやtuを使う人間は敵国の工作員の可能性が非常に高いと言っていいでしょう。少なくとも連中の心は日本にはありませんね。」https://twitter.com/deadoralive6/status/372604572210307072なんてありました。とんでもないブーメランですね。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130828/1377710677#c1377737003
げらげら。

gonkuro 2013/09/02 21:37
リンク先の
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091101/1257048962

の記事についてですが、年寄りがよく、「○○さんの爪の垢でも煎じて飲みたい」
とか孫とか目下に対して「〜〜でも煎じて飲みなさい」と言うのを
聞いて育った気がします。
 爪の垢を煎じて飲むというのは慣用句としては成り立っていると
認識しますが、ご指摘の挙例は、「でも」のような限定の副助詞が
無いことから、慣用句としての意識無く使用しているとみなして
おられるのか、またはよほどの身内にしか命令形では使わない
という点で語用論上の誤りを笑っておられるのか、いずれでしょう。
 なお、とても「国士」なんて言葉がふさわしいと思えない人間を
持ち上げている点、当該の文言がいんちきナショナリストの妄言で
あるという認識は共有していると思います。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130828/1377710677

たしかに「でも」という助詞は重要ですよね。えーとですね、比喩を無視して(或いは無知を装って)わざと字義的に解してみるというのは、(例えば)脱構築ではよく使われる手口ですよ。

ところで、「子ども」という表記は所謂「交ぜ書き」とはちょっと違うよと書いたのだが*2、こっちの方は正真正銘の「交ぜ書き」だよ。『たかじんのそこまで言って委員会』で辛坊治郎*3は、自分に対する批判は「ねつ造」された嘘に基づいていると逆切れ的自己弁護している*4ATOKでは「ねつ造」と「捏造」のどちらも変換する。とすると、「ねつ造」というのはスポーツ新聞だけでなく、けっこう広く行われている書き方なのであろう。でも「ねつ造」というのはみっともない表記だと思う。何故「子ども」が責められて、「ねつ造」は罷り通るのか。