- 作者: 藤田正勝
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2007/03/20
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本書の特に第二章以降は、西田のバイオグラフィに沿って、彼の哲学的なライフ・ステージそれぞれにおける重要な概念或いは主題を解説していくというスタイルを採っている。
序章 生きることと哲学
第一章 西田幾多郎という人――悲哀を貫く意志――
第二章 根源に向かって――純粋経験――
第三章 生命の表現――芸術――
第四章 論理化をめざして――場所――
第五章 批判を超えて――世界と歴史――
第六章 具体性の思索――行為と身体――
第七章 真の自己へ――宗教――
第八章 東洋と西洋のはざま−−新たな創造に向かって――
終章 西田哲学の位置と可能性
文献案内
略年譜
あとがき
以下、少々メモ書きをしていく。
第二章は西田の最初の著作である『善の研究』の主題である「純粋経験」について。先ず、思索の前提としての「われわれの知の構造」について;
さらに、(西田の京都大学での「哲学概論」の講義ノート)
われわれはものをそのものとして見る特権的な場所に立ち、自由に知を手にしうるのではなく、知が知として機能するための枠組みをも同時に成立させながら、ものを認識する。たとえばリンゴを目の前にしたとき、われわれはそのリンゴをあるがままに、そのものとして見ていると考える。しかしそこにはすでに、認識の担い手(主観)と認識される対象(客観)という対立図式が生みだされており、その図式の枠のなかでわれわれはものを認識している。つまり、私が対象であるリンゴを見るという構図を前提にした上で、リンゴが見られている。われわれはこの枠組みのなかで捉えられるものを真理として、言いかえれば、事柄の実相として考えている。
しかしもしほんとうに事柄の実相を捉えようとするのであれば、この知の枠組み自体を問題にする必要があるのではないか。われわれが仮設したもの(人工的仮定)を取り除くことによって、はじめてわれわれは事柄の実相に迫りうるのではないか。このような問いから西田は出発したと言ってよいであろう。(pp.41-42)
藤田氏によると、西田の「純粋経験」概念の哲学史的な意義は以下のようになる;
では純粋経験が「赤なら赤だけである」という言葉で言い表されている。われわれは「普通」には、「私が」という意識をもちながら、そしてたとえば目の前の花をそれが「外物」、すなわち、わたしのそとにある「何か」であることを意識しながら見ている。「私」が「外物」である何かに働きかける、あるいは「私」が「外物」から何らかの働きを受けるという構図が先行し、その上でさまざまな経験をしている。簡単に言えば、「主観−客観」という構図を描いた上で経験をしている。
しかしその構図は、われわれが無意識のうちに――それについて十分に吟味することなく――持ち込んでいる「人工的仮定」ではないのか、西田はまさにその点を問題にしたと言えるであろう。西田は「色を見、音を聞く刹那」と言い表すことによって、「主観−客観」という構図が描かれる以前を指し示そうとしたと言える。その構図が描かれる以前の「経験其の儘の状態」が「色を見、音を聞く刹那」という言葉で、あるいは「赤なら赤だけである」という言葉で表現されたのである。(pp.45-46)
つまり、「彼が批判しようとしたのは、意識に対置される対象、あるいは「純物質」といったものが第一次的存在であり、われわれが意識するものは、その心像に、つまり第二次的なものにすぎないという考え方であった」(p.50)。
一方に感覚の世界を、他方に感覚以前の対象それ自体を配置し、両者をあたかも空間的に隔たったものであるかのように考えるのが主客二元論の基本的な構えであると言うことができる。そこでは当然、相隔てて立つ対象と感覚の世界との関係をどのように捉えるかということが問題になる。それは西洋の哲学の歴史のなかで、たとえば原像と模写(写像)、対象と心像、物自体あるいは実在と現象といった言葉で言い表されてきた。西田の「純粋経験」論は、そのような把握に対する批判であったと言うことができる。(pp.49-50)
また、「純粋経験」は「言語表現」以前を指し示している。つまり、「われわれが言葉で伝えられるのは、どこまでも経験の一部でしかない」(p.55)――
だから、「抽象化されたものではなく、事柄それ自体、つまりその豊かさをそのままに保持した事柄全体、それを西田は「事実其の儘」という言葉で、そして「純粋経験」という言葉で言い表そうとしたと言うことができる」(ibid.)。
言葉で言い表すことは、経験の具体的な内容をある断面で切り、その一断面で経験全体を代表させることに喩えられる。その一断面から経験の全体を眺めたとき、両者のあいだに大きな隔たりがあることはすぐに気づかれる。そのあいだに無限の距離があると言ってもよいでもあろう。言葉には必ず事柄の抽象化が伴っている。(p.56)
第三章では、西田の藝術論が解説されるが、西田にとって藝術の意味は「内面的生命の発露」(p.66)であったことが述べられる――「哲学が内的な生命の知的な自覚であるとすれば、芸術は生命が発する光を、光のままで凝固させたものと言えるであろうか」(p.67)。また、西田の藝術論に影響を与えたものとしてのディルタイの「想像力論」(p.70ff.)。曰く、
さらに、コンラート・フィードラーの受容(p.75ff.)。結局、西田にとっての藝術の意味は、
西田が注目するのは、ディルタイが感覚や表象など人間のあらゆる精神活動を、感情に満ちた、それ自身から変化していく動的な動きとして理解している点である。ディルタイによれば、意志によってそれを押しとどめることができないほどに感情が大きな緊張をはらむとき、感情は自ら自己を自己の外に表現する。自己の像を自己の外に形づくる。想像力が生みだすものの典型はもちろん芸術作品であるが、ディルタイは狂人や酔漢の幻影もまた同じ性格をもつものと考えている。(p.71)
ということになる。
『善の研究』においては、「経験」は主客の合一、あるいは知情意の一という点に力点を置いて理解されていたが、『芸術と道徳』ではその創造的な性格が強調されている。反省されることのない自己、その「深い声明の内容」がそれ自身を表現し、客観化するプロセスという観点からそれが見られている。芸術はそのような経験の典型と考えられるのである。(p.80)
第四章では「場所」概念が言及される。「場所」概念は西田の「「経験」概念の心理主義的性格を払拭する」(p.86)努力のうちに到達された。「場所」概念はアリストテレスの「基体」概念、「つねに主語となって述語とはならないもの」を逆転すること(「つねに述語となって主語とはならないもの」)によって成立した(p.93)。藤田氏は、「場所」概念の哲学史的意味について以下のように述べている;
第五章では、後期西田の「世界」概念が戸坂潤(p.108)や田辺元の批判(p.109ff.)を受け止めるなかで成立したことが明らかにされる。ここでは、(第六章で本格的に解説される)「行為的直観」概念と「世界」とを繋ぐ藤田氏の論述を引いておく。「後期西田による「世界」への注目が、決して、そこにおいて働く、あるいは行為する個物を無視するものではなかった」(p.115)とし、
カントに典型的に見られるように、近代の哲学は人間を、その認識を通して世界(存在するものの全体)を基礎づける「主観」として、そして行為・実践という局面では、存在するもの(客観ないし客体)に自らの意志に基づいて自由に関わっていく存在、つまり「主体」として捉えてきた。自己を基点としてすべての事柄が考えられていったと言ってよいであろう。
そのような人間の把握が、近代の科学技術文明を支え、多くの成果を生みだしていったのであるが、しかしそれは他方で、自然を――同時にまた人間をも――操作の、そして利用の対象と見なすものの見方に結びついていった。そのようなものの見方がもたらす多くの問題にわれわれは現在直面している。
自己を「場所」と捉える西田の思想は、いま述べたような近代の人間観とは根本的に異なった仕方で人間を理解するものであると言ってよいであろう。われわれがものを認識し、行為することは、事柄の基点ではなく、むしろ「場所」のなかで生起する一つの出来事であるという理解がそこにはある。そのような意味で西田の場所論は、近代的な人間観を根底から問い直すものであったと言うことができる。
さらに言えば、西田が場所を「無」と言い表すとき、それは。つねに「存在」を中心に置いて考察してきた西洋の哲学そのものを見直すという意味をもつものであったと言うこともできる。西洋の存在論は(略)「実体」の概念を核にして組み立てられてきた。アリストテレスに典型的に見られるように、それは、存在を存在として、その全体において考察する学問であった。(pp.99-100)
という。
(前略)「真の現実の世界」への注目は、単に「見るもの」、つまり認識の主体としての自己ではなく、現実の世界のなかで働き、行為する自己への注目と一つとなっていた。われわれは世界の外に立って世界を眺める「単に見る眼」ではない。物と必然的な関わりのなかに立つ存在である。身体をもち、行為する。そのような自己のありようを後期の西田は「行為的直観」という言葉で言い表そうとした。(略)後期西田の思想は、人間を単なる認識主観として捉え、世界をそれに対立して立つ対象界として捉えた「主知主義」に対する批判と結びついていたことが、ここからもはっきりと見てとれる。(pp.116-117)
第六章では「行為的直観」概念が解説されるが、「行為的直観」とは「私が考える故に私がある」(デカルト)から「私が行為するが故に私がある」への転換である(p.131)。西田がインスパイアされたのはメーヌ・ドゥ・ビランであり、「行為的直観」概念はビランの「私は行動する、私は意志する、あるいは私は私において行動を思惟する」を「意識があって身体あるのでなく、身体あって意識があるのである」(「論理と生命」)という方向で徹底化するなかで成立した(pp.131-132)。「行為的直観」(「行為によって物を見る」)の意味;
第八章で言及されるのは、西田における「東洋」と「西洋」の問題、さらには政治的なテクストでもある『日本文化の問題』である。先ず、藤田氏は、西田と「東洋思想」の関係について、
われわれが単なる「意識」ではなく、身体的な存在であるということは、われわれが欲求をもつ存在であるということでもある。そのような存在に対して物は単なる物としてではなく、「表現」として立ち現れてくる。
たとえば真夏の渇きに耐えて帰宅したときに出されたコップ一杯の水は単なる水ではない。冷えたコップが口に触れたときの感覚、水が口に含まれたときの冷たさ、のどを水が通過するときの快感、そうした欲求の満足をもたらすであろう水である。それは言いかえれば、この水がいま言ったような表情で満たされているということでもある。それが、物が「表現」としてわれわれに迫ってくるということである。
「行為的直観」の定義として言われた「行為によって物を見る」ということは、まず第一に、物がこのようにわれわれに対して表現的に立ち現れてくるということを意味している。
さらに、物はさまざまな表情で満たされているだけではない。同時に、欲求の主体であるわれわれを突き動かす。冷たい水の入ったコップを出されたとき、われわれはそれを飲み干さずにはいられない。そのような仕方で表現的に立ち現れる物は、われわれの行為を呼び起こす。「行為によって物を見る」ということの第二の意味は、この行為の惹起という点にある。(pp.133-134)
と述べている。
西田哲学は東洋の思想(あるいは禅の思想)を西洋哲学の概念を用いて表現し直したものだと言われることがあるが、それは決して正鵠を射た理解ではない。西田はまず西洋哲学が問題にしたものに正面から向き合い、その議論のなかに身を投じ、どこまでもその地盤の上で思索を深めていった。しかしその過程で、この自らの思索の営みと東洋の思想的な伝統とが交差するということが西田のなかで意識されていったように思われる。(p.162)
さて、『日本文化の問題』。藤田氏は、そこにおいて「日本文化の特殊性を誇張する「日本主義者」に対して、西田はそのような態度が排外主義に結びつくことをはっきりと警告している」(pp.167-168)、「他を排し、日本精神の唯一性を宣揚しようとする立場に対して明確な反対を表明した」(p.168)という。また、西田が使う「日本精神」や「皇道」という言葉に関しても、
という。さらに、藤田氏は西田の主張に「多文化主義的な発想」、「それぞれの文化にそれぞれの可能性を認める発想」(p.172)があるとし、それだけでなく、「それぞれの文化が互いに創造的な影響を与えあう可能性を見ている」(p.173)*1。
しかしそれは、時代のなかで語られた意味をそのまま前提にしてのことではなかった。「日本精神」というものを語るにしても、それは「世界的」なものでなければならないというように、そこに自らの立場から積極的に意味内容を付与していくということがなされている。そのような内容を付与するのでなければ、それについて語る意味がないという仕方で西田は論を展開している。(p.169、See also pp.173-175)
終章では、西田を超えて、所謂「京都学派」が語られる。「京都学派」は「ある一定の理論を共有することによって成立した集団ではない」(p.183)。また、曰く、
藤田氏のこの本を読んで、自分はけっこう西田のかなり近くを彷徨いつつ考え事をしているんじゃないかとも思った。西田幾多郎を集中的に読んだのは、1993年から1994年にかけてで、『善の研究』を読み、それから岩波文庫で出ていた『西田幾多郎哲学論集』3巻を読み通しはしたのだけれど、あの西田文体に阻まれたということもあって、読み通したけれど理解したとはいえなかった。その後の西田への関心は散発的で、下村寅太郎『西田幾多郎―人と思想』を読んだり、最近では檜垣立哉『西田幾多郎の生命哲学』を読んだりはしていた。それで、藤田氏の本を読み、西田への関心に再び火が点いたというわけだ。
田辺元や三木清、西谷啓治、その他多くの人々が、西田の影響を受けるだけでなく、その思想を批判的に受けとめ、そこから独自の思想を展開していった。もちろん、西田の思想をいったん受けとめた上でのことであるが、そこにとどまることなく、文字通り「自ら思索する」ということを実践していった。そのような思索のスタイルが共有された集団――知のネットワーク――であったということは言えるように思う。
京都学派の性格を言い表すのに、ネットワークという言葉を用いるのがふさわしいと思われるのは、西田あるいは田辺と弟子たちとの関係が決して一方向的な関係ではなく、むしろ双方向的な関係であったからである。西田と田辺自身、互いに批判しあい、また影響を与えあったが、三木清や下村寅太郎らの仕事も、西田に少なからぬ刺激を与えた。(略)
もう一つ留意すべき点は、ネットワークという表現が、西田や田辺の学説を積極的に受け継ごうとした人々だけでなく、それに批判的であった人々もそのなかに含めることを許容するという点である。田辺にせよ、三木にせよ、あるいは西谷啓治や三宅剛一といった人々にせよ、西田との対決から、言いかえれば、西田に対する批判をその原動力とすることによって自らの思想を構築していった人々である。そのような批判を許すつながりであったという点に、京都学派の一つの特徴があると言ってよいであろう。(pp.183-184)
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