上原善広『異邦人』

上原善広『異邦人 世界の辺境を旅する』を読了したのは数日前。


第一章 蒼い砂塵 パレスチナ・ガザ戦記
第二章 バグダッドジム 混迷を深めるイラクで出会ったロマの女
第三章 ゴート族の犬 スペインの被差別民カゴを旅する
第四章 毛沢東と宿命 ネパール革命戦争と売春のカースト
第五章 マフィア映画の虚と実 イタリア・マフィアとコルシカ民族主義
第六章 気の毒なウィルタ人 日本とロシアに引き裂かれた北方少数民族の物語


あとがき
文庫版あとがき
参考・引用文献
解説(麻木久仁子

日本の「路地」に生を享けた上原善広氏の紀行/ルポルタージュ集。ここで訪ねられ・記述されるのは二重の意味において「辺境」(=周縁[frontier/fringe/periphery/margin])であるといえるだろう。(まあバグダッドを除けば)どれもが国家の中心ではなく、その端っこであり、他の国家との境界に近い場所である。また、そこでフォーカスされる人々は、私たちの社会の主流の価値観が〈普通〉と認定する範囲を超えた属性を抱えた人々である。第1章のイスラエルパレスティナハマス)との衝突の最前線たるガザ地区*1、それも埃及国境に近いラファ。第2章はサダミ・フセイン政権崩壊後というか米軍占領下のバグダッド。そこで、上原氏は奇妙なボディビルのジムに通い、売春宿では「ロマ」*2の娼婦に会う。第3章では、西班牙と仏蘭西の境界部のバスクに暮らす被差別民「カゴ」*3 を訪ねる。第4章では、ネパールの毛沢東主義ゲリラ*4とともに、「売春」カーストの女たちに焦点が当てられる。第5章は地中海ギャング紀行という趣向。伊太利のナポリの「カモッラ」、カラブリアの「ンドラシゲタ」、シシリアの「マフィア」、コルシカ島民族主義者。第六章で焦点が当てられるのは、樺太(サハリン)に根を張りながら、露西亜(蘇聯)と日本の間で引き裂かれたウィルタ*5
さらに、この本の魅力は、不意討ち的に上原氏の〈パーソナル〉な問題が侵入してくることだろう。例えば、ガザ地区で銃撃戦に巻き込まれている最中に、日本にいる女から別れの電話がかかってくるというシチュエーションを読んだとき(pp.45-46)、一瞬どう反応していいのか戸惑った。これは笑うしかないのだろう。或いは、バグダッドの「ロマ」の娼婦を前にして、不意に高校時代に経験した「10歳年上の二六歳」の女のフェラチオの記憶が甦ってくるとか(pp.105-107)。
上原氏は「あとがき」で、「路地(同和地区)のような極めて土俗的で日本独特の問題を俯瞰し、比較するために外国の取材が必要だったと思うのだ」と述べている(p.276)。私たちは、これを実存的な言明として受け取らなければいけないだろう。「文庫版あとがき」では、「本書の見本刷りができて、担当編集者が自宅へ持ってきてくれたときは、ちょうど自殺未遂事件を起こして病院へ緊急搬送され入院しており、刷り上ったばかりの本書を手に取ることができなかった」とも述べられている(p.281)。何が言いたいのかといえば、上原氏を旅行や取材や執筆に駆り立てているのは、世界及び自己との認識論的・実存的和解への希求ではないかと推測してもいいのではないかということだ。これは彼が「路地」(=被差別部落)に生まれ育ったことと勿論関係はあるのだろうけどそれに還元できることでもないだろう。「あとがき」から、(麻木久仁子さんも引用している[p.286])短いけれど美しいパラグラフを引用したい;

路地に生まれた私には、日本にいてもどこか異邦人だという感覚がある。だから二〇代の頃、海外はかえって居心地の良い場所だった。それほど海外に出なくなった今も、異邦人だという感覚はいつも抱いていくのだろう。(p.278)