まあ取り敢えず「風太」というかadvance777という人*1が「小沢信者」かどうかは重要ではない。
つまり自民も民主の野田・前原派も、そして維新の会も石原もみんな同じ穴の狢であったということですよ。そして彼らの立つ共通の立脚点は、アメリカ追従の現体制護持という点だったということです。
これはつまりアメリカにより作られた土俵の上で花相撲を取っているようなものだということです。
だからこそ彼らは、原発にも増税にもTPPにも、すべてに反対の姿勢を出すことは、たとえその方が彼らにとって国民受けが良くても無理なわけです。
それはこれらはすべてアメリカの戦略下にある属国日本に与えられた使命でもある国策だからです。
その国策には財界もぶら下がり、多くの恩恵を受けているわけです 。
よって自民も民主の野田・前原派も維新の会も、それには絶対にそれに逆らう事は出来ません。
それに逆らう事は、現体制下の日本で生きていくことは出来ないほどのきつい仕打ちが待つものだからです。
そしてそういう現体制護持派勢力に対して、国民の生活が第一と社民と大地とみどりの風と共産などの真の第3極を形成する勢力は、勇気を持ってアメリカの戦略とは別の立脚点に立とうとしているので、原発にも脱原発(国民の生活は10年と期間を区切っています。ドイツに行き向こうの責任者と会ってきています。本気です。だからマスコミはこの事を殆ど黙殺しました。あなたもですか?)、増税に対しても反対であり、TPPにも当然反対する事が出来るわけです。
ここに国民に背を向け、一定のポジションを与えられてアメリカに媚びるだけの勢力と、国民を一番に考える勢力との違いが明確になるのです。
だからこそアメリカとその意向を受けた霞が関にべったりのマスコミは、民主野田・前原派、自民・公明、そして偽りの第3極である維新の会しか選択肢が無いかのように報じるわけです。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1278.html (Cited in http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20121120/1353365984 )
かつて左翼において日本帝国主義が復活したのかどうかという論争があった。新左翼の主流派*2は日本帝国主義の復活・自立を主張し、毛沢東主義者や日本共産党は日本は米国による反殖民地的存在であると主張した*3。前者からは
いいですか、この国は普通の国ではないのです。
いまだにアメリカ占領軍が居座り続けている。
どこが独立国なのですか?
そしてそんなアメリカの戦略に誰も異を唱える事が出来ない。
こんな国を世界では属国というのです。
実態はそれ以下ですが。
だから霞が関は戦後60年以上過ぎて完ぺきにアメリカ政府の下請け機関に化しているというわけです。
そんなだから政権交代などおこるはずもなく、それをやってしまったから、いま小沢は体制の敵としてあそこまで酷い攻撃を受けているのですよ。
いわば我々の為に必死で頑張っているというのに、それをあなた方は愚かにも後ろから弓を引いている。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20121201/1354324307#c1354352603
日帝打倒!
というスローガンが導き出され、後者からは
反米愛国
というスローガンが導き出されたわけだ。
上のような(最近よく見かける)〈日本=米国の属国〉論を読みつつ思うことは、議論が数十年も逆戻りしちゃってるんじゃないかということだ。
〈日本=米国の属国〉論の倫理的な帰結はどうなのだろうか。〈日本=米国の属国〉論を使うことによって実に容易く〈無垢(innocent)な日本〉を構築することができる*4。何しろ日本に起こっている禍々しいことは全て(邪悪な)米国及び米国の手先たる邪悪な日本人(売国奴)のせいなのであり、売国奴ではない無垢な日本人たる〈私〉はそうした禍々しきことに対して責任はなく、無罪(innocent)である。ここには〈私〉の〈加害可能性〉、(意図するしないに拘わらず)〈私〉の存在や振る舞いが他者や世界を損ねてしまう可能性に対する自覚或いはそれに対する戦きが発生する余地はない。つまり親鸞が言う意味での「善人」ばかりうじゃうじゃいて、「悪人」はいないのだ。こうした〈私〉には否定性(限定)という契機がなく、そのため本来ならば〈私〉の輪郭も定まらない筈なのだが、だからこそ却って〈私〉を無垢(無罪)な犠牲者として構築し・輪郭づけるために、悪しきサディスティックな主人としての米国が追い求められることになる。つまり〈日本=米国の属国〉論は(その意図に反して?)〈私〉(日本)の米国に対する(主観的な)〈従属〉を強化してしまう。またそれは〈私〉(日本)を米国との(擬似的)鏡像関係に閉じ込めてしまうことだ*5。そこで抑圧されてしまうもの、それは米国以外の他者であり、日本をも米国をも超越している筈の世界であろう。一言で言えば、〈日本=米国の属国〉論は日本人たる〈私〉を人格的な未熟者に留めてしまう。何しろ〈私〉が大人になる一歩は鏡像関係を脱中心化して〈世界〉へと踏み出していくことだからだ。
こう考えてみると、〈日本=米国の属国〉論の人と歴史修正主義との親和性というのも納得できる話だ。無垢(innocent)な日本人たる〈私〉の過去も無罪(innocent)なものでなければならないということになるからだ*6。
自己イノセント化によって或る種のontological securityを確保したいという欲望は勿論現代日本人だけに限ったことではないだろう。以前ピーター・バーガーが(たしか『犠牲のピラミッド』*7で)「従属理論」が第三世界を如何に道徳的に堕落させたかということを論じていた。最初読んだときは、保守主義者の意地悪だと思っていたのだが、この議論はかなり普遍的な射程を持つものだったのだ。
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犠牲のピラミッド―第三世界の現状が問いかけるもの (1976年)
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*1:http://d.hatena.ne.jp/advance777/
*2:左翼内部で主流派だったとは言えないし、況んや日本人全体の中で少数派であったことは間違いないだろう。
*3:たしか1970年代前半に共産党内部の日帝復活論者が粛清=追放された筈。
*4:innocentは無垢、無罪のほか、白痴という意味もある。
*5:擬似的と言ったのは、米国にとって日本はたんなる多数の他者のひとつに過ぎない可能性が高い(多分そうである)からだ。つまりリアルな他者としての米国ではなく、〈私〉が勝手に構築した米国。
*6:「風太」というかadvance777という人がそうだと言っているわけではない。
*7:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090604/1244090099