モノコトの復習

最近廣松渉に言及したのだが*1、廣松といえば「事的世界観」*2。ということで、「もの」と「こと」についての復習。
藤井貞和『日本語と時間』から。


(前略)古代日本語によれば、〈動かない〉のが「もの」で、「こと」は〈動く〉という、はっきりした区別が鋭く存在していた。区別というより、対比というほうが相応しいかもしれない。
「もの」は〈動かない〉を基本とする。たとえばかな文字を話題にするときに、」「かなというものは〜」と言うと、目のまえにあるかな文字ではなく、あたまのなかで描く概念であり、抽象的な〈かな〉だ。描かれた概念はじっと動かない、その場合、「〜というもの」という言い方になる。(p.4)
「世こそ定めなきものなれ」(『源氏物語』「帚木」)
「よのなかは−むなしきものと−しるときし−いよいよますますかなしかりけり」(大伴旅人万葉集』)
「別れといふものかなしからぬはなし」(『源氏物語』「夕顔」)
「空蝉の−世は−憂きものと−知りにしを、また言の葉にかゝる命よ」(『源氏物語』「夕顔」)
「もの」は


「変動のない対象」
「既定の事実」
「避けがたいさだめ」
「不変の慣習・法則」


という意味を有することになる(p.7)。或いは「時間軸のうえでじっと動かない」もの(p.8)。


「こと」は本来、「もの」と正反対に、在り方や、性質や、行為や、状態をひろく称する。つまり「こと」には動きがある。『岩波古語辞典』「こと」項では、こと(=言)とこと(=事)とを一項目にしたうえで、「こと(事)」について、「人と人、人と物とのかかわり合いによって、時間的に展開・進行する出来事、事件などをいう」と、そこに簡潔に説明する。
つまり時間軸のうえを動くのが「こと」だということができる。(pp.10-11)

出来事、事件にしろ、人の行為にしろ、時間軸の上を動く。とともに「こと(事)」が(略)かかわり合い=関係という要素を持つことは要点だと知られる。かかわり合いじたいがある種の運動をなす。そうすると、じっとしていること=”静止”という状態もまた、それじたいがかかわり合いという運動になっている。(p.13)

(前略)〈出来事、事柄、業務、相関関係、性格、言語行為〉のような”動態”が「こと」だ。”状態”をもここでは動態と対立させるのではなく、運動の一種であると見る(=静止人工衛星は動いている)。時間との関連で言えば、「こと」が動態であるからには、時間じたいでなく、時間に沿う関係性としてある。(p.14)
日本語と時間――〈時の文法〉をたどる (岩波新書)

日本語と時間――〈時の文法〉をたどる (岩波新書)

藤井氏は廣松渉『もの・こと・ことば』に言及している。内容に深く立ち入ってはいないが(p.10、p.18[註2])。
もの・こと・ことば (1979年)

もの・こと・ことば (1979年)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120504/1336116305

*2:コトテキと訓むべきか。