Prenom Oiwa

広坂朋信「よく似た物語は同じ物語か――怪談の発生と伝播について」http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-9.html


東海道四谷怪談*1のヒロインである「お岩」さんという名前についての話。そういうことも言われているんだね、と感心。


四谷怪談のヒロインの「お岩」(敬称略)という名は女性名としてはいかつい印象を与えるからだろうか、この名前に特別な意味があるとする説がある。代表的なものが記紀神話に出てくるイワナガヒメにならったものだという説であり、また歌舞伎特有の命名法だという説もある。だが、お岩という名は、江戸時代の女性名としてそれほど珍しいものではなく、意味からすれば強い子に育ってほしいという願いからつけられたものだろう。
 お岩が醜かったという伝承について、「お岩」という名前と結びつける人もいる。つまり、お岩とは醜い女に付ける名前であった、というのである。

「お岩」という名は、「岩藤」「岩根御前」など、『古事記』の「石長比売」以来のかたましい女の系譜に名付けられたかぶきの独自な命名法である。『模文画今怪談』にはお岩の名がみえぬが、「いたって悪女なり」とある点に、お岩の名を導き出す素地が窺われる。                         (郡司正勝『『東海道四谷怪談 新潮日本古典集成』解説 p421〜p422)
 要するに、顔が醜く、性格も意固地で、ちょっと手に負えないキツイ女の名前は「岩」と相場が決まっていたというのだ。郡司はさらに「お岩の名は、かぶきでは夫に裏切られるか、夫を裏切る人物の名であった」として、「岩」という名前は物語の中で伊右衛門の妻が演じるキャラクターから連想してつけられた役名であることを強調している。
しかし、

そもそも、岩という名前は女性の名前としてそれほど珍しいものではなかった。私の年長の知人(60代)のお母上の名も「いわ」さんだそうだ。
 ちなみに、馬場文耕の『武野俗談』(宝暦七年)には「烏お岩」という女性が出てくる。このお岩は根津川島屋の遊女で、烏の絵のついたものを好んだため烏お岩と呼ばれたという。書道が得意(「烏石と名乗つて筆道に名高きものあり」)で、親孝行な女性だったそうである。
江戸時代において「お岩」という名前は「それほど珍しいものではなかった」のか。要するに無徴。ただ、鶴屋南北の芝居を契機に、有徴となって、忌避されるようになったということはないのか。それにしても、「お岩」という名前が「石長比売」に由来しているというのは俄かには信じられないぞと思った。そうであるなら、〈長寿〉の獲得というモティーフが絡んでいる筈なのだ。何しろ 石長比売は〈寿命〉の起源神話に関係している。美人薄命というか、瓊瓊杵尊が石長比売を拒絶したために、ニニギの子孫たる天皇或いは私たちは〈寿命〉というものを知ることになった。ここから、石長比売的なものを取り戻すことによって〈長寿〉が得られるんじゃないかという発想が生まれる。鈴木日出男は『源氏物語』の末摘花に「石長比売」の面影を見出していた。〈醜女〉と性交することによる長寿の獲得(『はじめての源氏物語』)*2
東海道四谷怪談 (岩波文庫 黄 213-1)

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はじめての源氏物語 (講談社現代新書)

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話は逸れてしまうが、近代的な小説、特に純文学を書く場合、登場人物に意味ありげで綺羅綺羅した名前をつけてはいけないということも言われる。登場人物が綺羅綺羅し始めたら、途端に通俗的になってしまうよ。とは言っても、作家が登場人物の命名の一切合切を意識的にコントロールできる筈もないし、そもそも名前に意味を見出すのは命名者たる作家ではなく読者*3なのだ。
ところで、よくわからないのは、「怪談」と「体験談」との関係。そもそも「怪談」を含む「民話」というのは(幾つかの準位における)「体験談」的な性格を切断することによって、「民話」として存立するんじゃないだろうか。「民話」というのは普通は三人称で語られるわけで、しかも伝聞形が使われることが多い。これは、語りの内容の真実性に語り手は責任を持たないよということ。〈真実〉を語っていることを主張し、〈真実〉が期待されている「体験談」とは対照的である。

なお、タイトルはゴダールの映画Prenom Carmen(『カルメンという名の女』*4から。

カルメンという名の女 [DVD]

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