中島岳志 on 吉本隆明

承前*1

中島岳志*2「「態度の思想家」の凄みとやさしさ」『毎日新聞』2012年3月21日夕刊


吉本隆明追悼文。
中島氏は吉本の『最後の親鸞』「をきっかけに親鸞思想に傾斜し、のちに仏教徒という自覚をもつに至った」という。曰く、


親鸞は「自力」を懐疑し、弥陀の本願という「絶対他力」に随順した。そして、「非僧非俗」「愚禿」「凡夫」を自称し、農民と共に歩んだ。その背景には、仏教界の権威的ヒエラルキーに対する批判があった。エリートによるスターリン主義を批判し、大衆に寄り添うことを是とした吉本は、親鸞の中に自己を見たに違いない。
親鸞も吉本氏も、大衆と共にあるながら「一人」であることを自覚した人間だった。そして、大衆に寄り添いつつ、世の中の風潮や権威に寄り添わない人間だった。それは言論活動だけでなく、日常生活の微細な部分にまで及んだ。
吉本氏は、決然として人を裏切らなかった。彼は思想に誠実であるがゆえに、人にやさしく、言論に厳しかった。その一貫した態度が、多くの人の実存と触れ合ったのだろう。吉本信者の原像は、吉本氏の態度への愛着に還元される。
また

私が吉本氏と対面し、言葉を交わしたのは、2007年の本紙上での対談だった。私は近年の吉本氏の言論に、違和感をもっていた。80年代以降の消費主義への傾斜には、喜劇的な空回りを感じ、小泉構造改革への評価にも強い疑問があった。私は、この点を誤魔化してはならないと思った。


五十嵐仁「なぜ、誰も吉本隆明の責任を追及しないのか」http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2012-03-17


これは元民青の八つ当たり的怨み節。