絲山秋子『沖で待つ』

沖で待つ (文春文庫)

沖で待つ (文春文庫)

先日読了した絲山秋子沖で待つ*1


勤労感謝の日
沖で待つ
みなみのしまのぶんたろう


解説(夏川けい子)

表題作の「沖で待つ」は〈ですます体〉で書かれている。ということは、語り手である「私」=「及川」が誰かに口頭で語っていることになっているわけだが、果たして誰に語っているのだろうか。
この小説は男女間の友情を描いたものだと取り敢えずは言える。同じ著者の『海の仙人』*2も男女間の友情をモティーフにしていたが、「沖で待つ」では或る「秘密」の共有が友情を根拠付けている。「及川」は某住宅機器メーカーの同期で、採用された時に同じ福岡営業所に配属された仲間である「牧原太」と、どちらかが死んだら(他人に読まれたら恥ずかしいデータを消去するために)相手の部屋に忍び込んで、相手のPCのハード・ディスクを破壊することを約束し、「牧原太」から(ハード・ディスクを破壊するための)「星型ドライバー」を送られ、合鍵を交換する。やがて、「牧原」は「出勤しようとしてマンションから出てきたところで」「投身自殺の巻き添え」となり「即死」する(pp.94-95)。「私」=「及川」は「牧原」との約束を果たすために、五反田のマンションに忍び込んで、彼のPCのハード・ディスクを破壊する。
海の仙人 (新潮文庫)

海の仙人 (新潮文庫)

沖で待つ」というタイトル。「私」=「及川」は「牧原」のPCのハード・ディスクを破壊した後、福岡の宗像にある「牧原」の妻=「井口さん」の実家に行く。そこで「井口さん」から「一冊の大学ノート」を見せられる。そこには「下手くそなポエム」が書き連ねられていた。その「ポエム」の一つ;

俺は沖で待つ
小さな船でおまえがやって来るのを
俺は大船だ
なにも怖くないぞ(p.112)
せっかくハード・ディスクを破壊したのに、こんな「死んでも人に見られたくない」ものが残っていた! そもそも「ポエム」は「井口さん」に宛てられたものだし、「沖で待つ」と書いたときに「牧原太」が「死」を意識していたかどうかは定かではない。「しかし「沖で待つ」という言葉が妙に心に残りました」(ibid.)。この小説は男女間の友情についての話であるとともに、「沖で待つ」人、つまり死者との関係というか、そもそもが非対称的にならざるを得ない関係についての話だったのである。「私」=「及川」は「牧原」が先に死んでしまった以上、自分が死んでも、ハード・ディスクを破壊して「死んでも人に見られたくない」ものを消去してくれる他者を既に持たないことになる。「牧原」の「幽霊」に導かれるようにして、自分の「秘密」をばらしている;

(前略)私は、向かいのマンションに住む男性の部屋を覗くことを習慣にしていて、それを観察日記と称して記録していたのですから。
もちろん相手が気づいているとは思いません。ただ、カーテンを閉める習慣がない人なんだと思います。夏になるとパンツ一丁でうろうろしていて、そのパンツがまた黄緑とかピンクとかの派手なビキニで、私はズームの効くデジカメを買って写真を撮ってそれにコメントをつけて保存していました。ムービーも試したんですが、なかなかうまくいきませんでした。転勤前だというのに覗きの趣味はどんどんエスカレートしつつありました。(pp.118-119)
最初に、「私」=「及川」は誰に向かって語っているのだろうかという疑問を提示したのだけれど、ハード・ディスクを破壊してくれる別の他者が現れて、彼/彼女に向かって語っているということなのだろうか。
勤労感謝の日」では、失業中の「私」=「鳥飼恭子」(36歳)は「勤労感謝の日」に「野辺山氏」という「不細工」で無神経な男とお見合いをし、お見合いを飛び出して、渋谷で「会社時代の後輩の水谷ゆかり」と飲み、世田谷に戻り、「気分の悪い日に愛用している」「喜三昧」という家の「近所の飲み屋」で独り酒を飲む。要約してしまえばこんな感じなのだが、けっこうドライヴ感のある文体で、面白かった。そのベースに流れているのは、男女雇用均等法世代というか「バブル」世代の自虐的とも言える世代意識*3だろう.。

総合職の中でも最も平等に扱われる会社を目指して、内定を貰った時は相思相愛と思ったが、蓋を開ければ女子は旧帝大早慶の経済か法学部しかいなくて、結局学歴逆差別で入っただけか、と失望した。バブル入社と言っても女の子は枠が少なかったから内定を取るのに苦労した。楽勝は男の子だけだった。もちろん今の学生はもっとキツい。仕事がない。我々の世代には苦労を語る資格は与えられていない。
入社して配属部署が決まって上司に挨拶に行くと、最初に「女性らしさを生かして仕事をしてください」と言われた。それでやっと気がついた。私は自分が犬だと思っていない犬だった。野良で育ったのに愛玩犬だったのだ。今思うと、上司は女性総合職なんてどうやって使ったらいいのか判らなくて気が重かったんだろう。(p.38)
また、

(前略)社会をどんどん俗悪なものにしているのは私の世代なのだ。小学生の名前の変遷*4を見れば歴然とわかる。このクソ世代がやっていることが。(p.31)
とも。
「みなみのしまのぶんたろう」は某都知事と読み間違えそうな「しいはらぶんたろう」が「そうりだいじん」の「おべんとう」を盗み食いして、「とおいとおいところにあるこっきょうのしま」「おきのすずめじま」の原発に左遷され、やがて魚たちと会話ができるようになるという話。

むかしむかし、いやそれともこれはとおいみらいのおはなしかもしれません。
デンエンチョーフというまちに、しいはらぶんたろう、というおことがすんでいました。ぶんたろうは、さまざまなさいのうにめぐまれて、ブンガクをやったり、ヨットにのったり、マツリゴトをしたりしておりました。ほんをかけばベストセラー、ヨットにのればせかいチャンピオンのぶんたろうは、マツリゴトのせかいでは、みんながびっくりするようなことをいうこともありましたが、こくみんやせいじかたちにしんらいされて、とうとうだいじんにまでなったのです。(後略)(p.127)