韓湘(メモ)

「八仙」とは


李鉄拐
漢鍾離または鍾離権
呂洞賓
藍采和
韓湘子
何仙姑
張果老
曹国舅


なのであった(See 二階堂善弘『中国の神さま』、p.66ff. Also http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/essay1008.html)。

中国の神さま―神仙人気者列伝 (平凡社新書)

中国の神さま―神仙人気者列伝 (平凡社新書)

陳尚君「成仙之別途」『上海書評』2012年2月12日、p.13


「八仙」のひとり韓湘子の原型は唐代の儒者、韓愈の姪孫(大甥)である韓湘。但し現在まで知られている資料には、彼が道教を信じ・仙人になるべく修行した記録は全くない。なのにどうして「八仙」のひとりとなったのか。韓湘が言及されている最も早い文献は韓愈の「祭十二郎文」(803)。曰く、「汝之子始十歳、吾之子始五歳」。ここで「汝之子」といわれているのが韓湘。「十二郎」とは韓老成*1。韓愈の甥に当たるが、兄弟のように育った。10歳で父親を亡くした韓湘はその後韓愈に育てられることになる。819年(元和14年)、皇帝・憲宗が宮中に仏舎利を迎えるという事件が起き、韓愈はそれを諫める「諫仏骨表」という文を書き、そのため韓愈は潮州に左遷されることになる。当時26歳だった韓湘も韓愈に同行することになる。4年後、韓湘は科挙に合格し、進士となったが、その後の事績はあまり明らかでなく、著作も伝わっていない。彼が道教を信じていたか否か、全く記録がない。韓愈は儒者として反仏教・反道教の人だったが、宋代になると、道教では韓愈が反道教を悔い改めて最終的には道教に帰依したという話を捏造するようになる。トリックスターというか、韓愈を道教に誘い込む媒介として、非著名人である韓湘が使われたようだ。最も早いものとして、『酉陽雑俎』巻一九。韓湘の物語の完成型が見られるのは北宋後期の劉斧『青瑣高議』であるという。
(仙人としての)韓湘については、二階堂氏の『中国の神さま』のpp.80-83に(『八仙東遊記』に従っての)記述あり。そこでは、韓湘は韓愈の「甥」とされている。『太平広記』巻五四に引かれる杜光庭『仙伝拾遺』に仙術を使う韓愈の「外甥」が韓愈を道教に帰依させる話がある。この「外甥」の名前は明かされておらず、そもそも「外甥」であれば「韓」という姓を名乗っている筈はない。『八仙東遊記』において、史実では韓愈の「姪孫」だった韓湘が「甥」になっているのは『仙伝拾遺』の影響だろうか。また韓愈と韓老成との関係、叔父―甥なのに兄弟として育ったことも影響しているのだろうか。韓老成が韓愈の兄であると誤認されればその子どもである韓湘は韓愈の甥だと思われてもおかしくない。

*1:韓愈の兄、韓介の子。See http://i.dahe.cn/space-113653-do-blog-id-2730927.html