プリーモ・レーヴィ『休戦』

休戦 (岩波文庫)

休戦 (岩波文庫)

プリーモ・レーヴィ『休戦』(竹山博英訳、岩波文庫*1を読了。


雪解け
大収容所
ギリシア
カトヴィーツェ
チェーザレ
ヴィクトリー・デイ
夢見るものたち
南に向かって
北に向かって
クリーツァ
古い道
森と道
ヴァカンス
演劇
スターリエ・ダローギからヤーシへ
ヤーシからリネアへ
目覚め


学生版への序文
解説

以前『休戦』を原作としたフランチェスコ・ロージの映画『遥かなる帰郷』*2を観たときは(モノクロの映画でもあり)とにかく重い映画だという印象を持った。今回『休戦』を読んでみて、最初の方では「アウシュヴィッツの子ども」「フルビネク」の死という重い証言が登場する。しかし話が進んでいくうちに、この本は鬱的というよりは躁的な雰囲気で充たされているなと感じるようになった。或る意味でそれは当然だろう。1945年1月27日に蘇聯軍によってアウシュヴィッツから解放され、9か月をかけて著者の故郷である伊太利のトリノに帰還する記録なのだから。戦争末期や戦後初期に特有な混乱と蘇聯の官僚主義*3に苛つきながらも、強制収容所への旅ではなく故郷或いは日常生活への復帰を目指す旅であり、そこでは数多の困難も(後に編集されるライフ・ヒストリーにおいては)冒険物語或いは武勇談として統合されるべき出来事である*4プリーモ・レーヴィがヨーロッパの様々な民族からなる(とにかく故国へ引き揚げるということだけが共通した)善人や悪人たちとの出会いとともにこの旅を、その滅茶苦茶な困難もひっくるめて愉しんでいることを感じる。
しかしそうした躁的気分は、最終章の「目覚め」において、一転して重い鬱的な気分・雰囲気に取って代わられることになる。レーヴィたち一行を乗せた列車はウィーンからそのまま伊太利領に入るのではなく、西に迂回して、独逸領のミュンヘンを経由することになった。

(前略)初めて自分の足でドイツの一端を踏みしめることは、つまり高シレジアでもオーストリアでもなく、ドイツそのものに足を踏み入れることは、私たちの疲労に別のものを積み重ねることになった。それは狭量さ、挫折感、緊張感から成る複雑な心理状態だった。私たちはドイツ人の一人一人に何か言うことがある、それもたくさん言うことがあると感じていた。そしてドイツ人もそれについて、私たちに言うことがあるだろうと思った。私たちは急いで結論を出したいと思った。試合が終わった後のチェスの指し手のように、質問し、説明し、解説を付けたいと思った。《彼らは》知っていたのだろうか、アウシュヴィッツについて、日々の静かな虐殺について、自分の戸口の少し先で行われていたことを? もしそうなら、どうやって道を歩き、家に帰り子供たちと顔を合わせ、教会の扉をくぐれたのだろうか? もしそうでないなら、彼らは私たちの、私の言うことに耳を傾け、学ぶべき神聖な義務がある。それもすべてを、すぐに。私は腕に入れ墨された番号が、切り傷のように熱く燃えるのを感じた。
私たちの汽車は駅に座礁したように止まっていたが、そのまわりはがれきだらけだった。そうしたがれきだらけのミュンヘンをうろつき回ると、支払い不能の債務者の群の中を歩いているような気分になった。おのおのが私たちに何かを負っているが、それを払うのを拒否しているのだ。私は今彼らの中にいた、「支配者の民族」の中に、アグラマンテの野営地に。だが男たちは少なく、多くは不具で、私たちと同じようにぼろをまとっていた。彼らの一人一人が私たちに問いかけ、何ものかを顔で読みとり、謙虚に私たちの話に耳を傾けるべきだ、と私には思えた。だが誰も私たちの目を見ようとしなかった、誰も対決しようとしなかった。彼らは目を閉じ、憎悪や侮蔑をまた表に出すことができ、高慢と過ちの古い結び目にいまだにとらわれていた。(pp.348-350)
重い気分は列車が伊太利領内に入ると、決定的なものとなる;

夜になってブレンナー峠*5を越えた。それは二十ヵ月前に、流刑に向かって越えた峠だった。さほど厳しい試練を受けなかった仲間たちは、陽気に騒いでいた。レオナルドと私は、思い出が頭に渦巻いていて、口をつぐんでいた。出発したとき六百五十人いた私たちが、帰りには三人になっていた。そしてこの二十ヵ月の間に、他のものをどれだけ失っただろうか? 家で何を見つけられるだろう? 自分自身のどれだけのものが侵食され、消されているだろうか? より豊かになって戻ってきたのか? あるいはより貧しくなったのか? より強くなったのか、より空虚になったのか? 私たちには分からなかった。しかし家の戸口で、良きにつけ、悪しきにつけ、ある試練が待ち受けていることは分かっていた。それを恐れとともに予期していた。私たちは血管に、疲れ切った血液とともに、アウシュヴィッツの毒が流れているのを感じていた。私たちはどこで再び生き始める力を汲み出せばいいのだろうか? あらゆる不在の時に、人のいない家や空っぽのねぐらのまわりに、自然にできあがってしまう柵や垣根を打ち壊す力を、どうやって見つければいいのだろうか? すぐに、明日にも、私たちの内や外にいる、未知の敵と戦わなければならないかもしれなかった。だがいかなる武器で、どのようにエネルギーを奮い起こして、いかなる意志を持って戦うのか? 私たちは一年間の残虐な思い出に押しつぶされ、中身を失い、無防備で、何世紀も生きた老人のように感じていた。文明の周辺を放浪してきた今までの月日、苦しかったその月日が、今では休戦期間のように思えてきた。それは無限の可能性を開示した幕間の期間、二度とありえない、天啓に満ちた運命の贈り物だった。(pp.352-354)
ここで『休戦』というタイトルの意味が明かされる。
さらにトリノの自宅に辿り着いて、自宅の「広い清潔なベッド」で見る「悪夢」;

それは夢の中の夢という、二重の形を取っていた。細かい部分はそのつど違ったが、本質は同じだった。私は家族や友人と食卓についていたら、仕事をしていたり、緑の野原にいる。要するに穏やかで、くつろいだ雰囲気で、うわべは緊張や苦悩の影もない。だが私は深いところにかすかだが不安を感じている。迫りくる脅威をはっきりと感じ取っている。事実、夢が進んでいくと、少しずつか、急激にか、そのつど違うのだが、背景、周囲の状況、人物がみな消え失せ、溶解し、不安だけがより強く、明確になる。今ではすべてが混沌に向かっていて、私は濁った灰色の無の中にただ一人でいる。すると私はこれが何を意味するか分かる。いつも知っていたことが分かる。私はまたラーゲルにいて、ラーゲル以外は何ものも真実ではないのだ。それ以外のものは短い休暇、錯覚、夢でしかない。家庭も、花咲く自然も、家も。こうして夢全体が、平和の夢が終わってしまう。するとまだ冷たく続いている、それを包む別の夢の中で、よく知っている、ある声が響くのが聞こえる。尊大さなどない、短くて、静かな、ただ一つの言葉。それはアウシュヴィッツの朝を告げる命令の言葉、びくびくと待っていなければならない、外国の言葉だ。「フスターヴァチ」、さあ、起きるのだ。(pp.355-356)
「フスターヴァチ」はポーランド語で「起床」の意。この「悪夢」は冒頭のエピグラフに詩として整えられて掲げられている(p.9)。

*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120519/1337444302

*2:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110715/1310753908

*3:著者たちは蘇聯軍によってアウシュヴィッツから解放されたのであり、蘇聯というか蘇聯人(露西亜人)は一貫して好意的に描かれている。

*4:経験のライフ・ヒストリーへの統合可能性については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090323/1237790007 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090410/1239330953 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100613/1276414494 も参照されたい。

*5:オーストリアと伊太利の国境。