黄泉帰る尾崎豊?

尾崎豊については幾度か言及している*1
さて、先週辺りだったか、「尾崎豊」がホット・トピックのひとつになっていた。きっかけは成人の日に因む朝日の社説であったらしい。その朝日の社説というのはまあ、新年会の酒に悪酔いしたんじゃないかという感じの代物ではあった。その社説にインスパイアされたらしき幾つかのテクストを読んだ。


常見陽平「「成人式はバカと暇人のもの」 若者に「尾崎豊」を強要するのはやめなさい」http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120110-00000305-agora-soci


常見氏の批判の眼目は、


ここ数年、メディアは「若者かわいそう論」の大合唱だった。私の専門の新卒採用についてもまさにそうで、 メディアは就職難に苦しむ若者の姿を紹介し、読者の共感を得てきた。さらには、世代間格差の話になったりもする。

ただ、この手の議論は若者が不在の議論になりがちである。今回のように、「尾崎豊を知っているか」と言ってみたり、スティーブ・ジョブズが死んだら、"Stay hungry,Stay foolish"という名言をドヤ顔で受け売りしたりする。では、若者が尾崎豊化したら、スティーブ・ジョブズ化したら、全力で叩き潰すのが大人たちである。新卒採用においてもそうで、企業が掲げる求める人物像というのは、「そんな人材いるのか?」というほど神さまスペック化していくし、ないものねだりだ。一方、そんな求める人物像に合わせるように学生は演技し、結果として企業には「マニュアル学生」だと解釈されたりする。そんな不幸な連鎖が続いていて、なかなか悩ましい。

という辺りにあるのだろう。これはこれで共感しうる。
さて、常見氏の「尾崎豊は影響力、存在感はあったものの、決してバカ売れしたアーチストではない」という評価は的確だと思う。


冷泉彰彦*2尾崎豊の再評価が不要な理由」http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2012/01/post-385.php


曰く、


アメリカには成人式というものがありません。18才で法的に成人する若者に、社会全体で期待をしたり説教をしたりという習慣はないのです。成人式的なメリハリは宗教が担っているという理由もありますが、もしかしたら世代ごとに世界観の論争をしたり、反抗と抑圧の抗争をしたりというカルチャーが弱いからかもしれません。そもそも核家族イデオロギーが機能する中で親子が比較的仲が良いということもあると思います。それがアメリカの強さと弱さを輪郭づけています。

 そんなアメリカとの比較で言えば、日本から聞こえてきた成人式の日の「今の若者に尾崎豊のような反抗を期待」するという朝日新聞の社説と、その社説を批判した常見陽平氏の『「成人式はバカと暇人のもの」若者に「尾崎豊」を強制するのはやめなさい』というアゴラの記事を巡る論争は大変に興味深く思えました。

マーロン・ブランドにせよジェームズ・ディーンにせよ、米国こそ〈世代抗争的文化〉の本場じゃねぇかと突っ込みたくなる。また「アメリカとの比較」というのなら、尾崎豊と生死の時期がだぶっているニルヴァーナ*3カート・コバーン論を展開してよとも*4
ところで、冷泉氏は1980年代の「校内暴力」の背景に言及している;

日本が最も豊かであったあの時代に、どうして校内暴力の反抗が起きたのでしょうか? そこには2つの理由があると思います。1つは、日本が高度成長から二度の石油ショックを乗り越え、自動車と電気製品を中心に輸出型ビジネスを大成功させる中、ようやく「豊かな社会」を実現したという時代背景です。物質の豊かさは精神の豊かさ、つまりより高度な抽象概念への関心や、より高度な付加価値創造への欲求へと若者を駆り立てたのです。

 ところがそこに、教育カリキュラムとのミスマッチが起こりました。教育カリキュラムはせいぜいが「前例を疑わない官僚」や「主任教授の忠実な弟子である研究者」「代々受け継がれてきた職人的な創造者」などをエリートとして養成しつつ、多くの中間層に関しては定型的な労働における効率を追求する人材育成のプログラムしかなかったのです。

さて? ただ1960年代の所謂大学闘争の背景としてもこのようなことが言われていた筈だ*5。さらに「教員の質の低下」が挙げられているのだが、これもどうかなと思う。寧ろそこに書かれていることは1990年代以降に顕在化する〈学級崩壊〉に当て嵌まりそうな気もする。(同時代的説明として)当時の「管理教育」に関しては鎌田慧『教育工場の子どもたち』、「管理教育」と「校内暴力」との関係に関しては保坂展人『学校が消える日』とかを取り敢えずマークしておこう。 
教育工場の子どもたち (講談社文庫)

教育工場の子どもたち (講談社文庫)

学校が消える日

学校が消える日

尾崎豊と言えば、校内暴力の時代の「反抗カルチャー」の象徴とされています」。たしかに尾崎豊が10代だった時代は「校内暴力の時代」だったと言えるだろう。しかし「校内暴力」というのは「管理教育」といった洗練されたものではなく端的な「暴力」によって制圧されてしまい、1980年代後半は寧ろ暴力衝動が内向化して〈いじめ〉の時代と言えるのではないだろうか*6


尾崎豊はどこにもいなかった」http://meinesache.seesaa.net/article/245410447.html


これは尾崎豊を過小評価しすぎ。1980年代に20代だった(つまり俺と同世代で)あまりマニアックな音楽ファンではなく、且つそれなりにリア充していた人なら、80年代は〈ユーミンの時代〉だったというだろうね。また当時、高校生にとってリアルなのは尾崎よりも寧ろ爆風スランプだろうと思ったこともあったのだが、尾崎豊のファン、例えば刑務所から出所する尾崎を出迎えに行ったような人たちの主力はティーンエイジャーだった筈だ。このエントリーが無視しているのは1980年代からのティーンエイジャーによるオリジナルな尾崎豊受容と彼の死後における(主に)大人による尾崎への再評価というか英雄化の違いだろう。以前にも書いたかも知れないが、1990年代、特に彼の急死以降に尾崎豊が持ち上げられたのは、1980年代的なもの(バブルであるとか軽佻浮薄であるとかポストモダン相対主義であるとか)に対するバックラッシュとしてだったわけだ。つまり尾崎は忌々しきバブリーな80年代に対するアンティテーゼとしてアイコン化された。例えば山下悦子尾崎豊の魂』(凄ぇタイトル!)とか。それから香山リカにとっての尾崎豊だけれど、これは事後的なものだと思う。何しろ(出典は忘れてしまったけれど)彼女は、YMOが散開した時点で自分にとっての80年代は終わってしまったと書いていたことがあったのだ。YMOの散開って1980年代の前半に属することだよ。

尾崎豊の魂―輝きと苦悩の軌跡 (PHP文庫)

尾崎豊の魂―輝きと苦悩の軌跡 (PHP文庫)

ところで、(社会学的問題としての)「世代」については例えばhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060322/1142995180http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100929/1285794543も参照されたい。ここで引用した亀和田武の言葉をみたたび引いておく;

十年くらい前かな。中学校の同窓会に行ったら、同級生の一人が、すました顔で「俺たちビートルズ世代は」なんていい出すんで、あれには驚いた。「ウソつけ。お前あの頃、いつも橋幸夫舟木一夫ばっかり歌ってたじゃないか」(笑)。(山口文憲亀和田武団塊の辞書に”反省”はない!?」『本の話』131、2006、p.10)
これをテンプレートにすれば、〈尾崎世代〉についても色々なヴァリエーションが出てくるんじゃないか。
因みに、俺の人生のサウンド・トラックには尾崎豊は使用されていない。