『満州と自民党』

満州と自民党 (新潮新書)

満州と自民党 (新潮新書)

数日前に小林英夫『満州自民党』(新潮新書、2005)を読了。


プロローグ
第一章 偉大なる遺産
第二章 敗戦、引揚げ、民主化
第三章 経済安定本部と満州組の活動
第四章 「満州人脈」復権の時
第五章 五五年体制と岸内閣
第六章 見果てぬ夢の行方
エピローグ


あとがき
主な参考文献

タイトルにいう「自民党」とは具体的にいえば、岸信介*1とその子分であった椎名悦三郎のことだといってよい。因みに、第三章で「経済安定本部」について論じられているが、これには岸は関わっていなかった。というか、その頃は彼はまだ戦犯容疑者であって、政治的に復権していなかった。
「エピローグ」から本書の主旨を要約している部分を引用しておく;

「日本的経営システム」の原型は、戦前満州国でつくられた。そして戦時期に日本の統制経済の中枢に位置付けられた日本的経営システムは、確かに戦後のGHQの改革の中で消えたように見えた。換言すれば、”断絶”しているように見えた。しかし”断絶”を生むには、戦後、改革派あまりに短かった。そして東西対立に象徴される冷戦の深まりの中で、戦後の改革は骨抜きとなり、戦前的な姿が表面に出てきた。その意味で戦前の商工省や企画院の活動と類似する側面が多々見られたのである。
五五年体制は、そうした意味では、戦前から引継ぎ、戦後完成された、一個の高度成長を推進するための仕組みだったといってもよい。そして、それを戦後ひとつのシステムにつくりあげるために重要な役割を演じた人物が岸信介だったといってよかろう。(p.181)

官僚主導の統制経済を立案したのは、満鉄調査部の流れを汲む宮崎正義らの経済調査会メンバーであった。それを具体的な政策として満州国で推進したのが、岸信介星野直樹らの満州国官僚集団だったのである。その後、彼らの何人かは日本に帰国する。そして帰国した満州人脈たちは、戦時体制下にあって、商工省や企画院を中心に革新官僚集団を形成し、日本の政治、経済体制をリードしていったのだ。満州国政府日本人官僚として、満鉄で培った統制のアイデアをいかんなく発揮したのである。
だが、やがて敗戦、占領下にあっては、ひとまず満州人脈は解体された。再編までの雌伏の時期を迎える。何といっても満州人脈から、一番のリーダー格であった東条英機を筆頭とする軍人グループが抜けてしまったのである。
しかし、この時期も満州人脈はしっかりと経済安定本部などに継承されていた。
五二年、占領が終わり、ようやく追放が解け、解体されていた満州人脈が本格的に再編される。
だが、その時、リーダーを務めたのは、東条英機ら軍人でもなく、満鉄総裁の松岡洋右でも、満州国国務長官だった星野直樹でも、一大コンツェルン、満業を立ち上げた鮎川義介でもなかった。代わって、この満州人脈を率いたのは、極東裁判で戦犯起訴をまぬがれ、戦後、政治の舞台に再登場することができた岸信介であった。
岸は、戦前、三七年の満鉄改組と同じ手法で五五年の保守合同を推進し、戦前の軍・官僚主導の政策で高度成長政策を、軍を除く官僚主導の高度成長を推進するという構図を実現した。そこには、満州時代からの腹心であった椎名悦三郎の存在があった。満鉄調査部での知の遺産を引き継いだ、安本、それに通産省のメンバーたちもいた。
また岸は、戦前の、日本、満州国を包み込んだ経済成長の構図も再現していく。それは東南アジアを包み込んだ経済成長へと方向を変えていった。その政策の実現にも満州人脈の藤崎信幸や満鉄調査部出身の原覺天らが深く関わっていた。またその事業推進に当たっては、やはり満州人脈である日本工営久保田豊らも参画していた。
満鉄調査部の宮崎正義らが描いたグランドデザインを、戦前から戦後政治の中で実現していった者たちが、岸を筆頭とする満州人脈だったのだ。(pp.183-184)
岸信介は1956年の段階で「放漫な自由主義経済政策を是正して計画的自立経済を確立すること」を主張しており(p.148)、彼の統制経済思想は学生時代の北一輝への傾倒に由来する(pp.123-124)。当時、「私には、私有財産制というものを維持しようという考えはなかった」。その意味では、非転向の〈社会主義者〉だったわけだ*2(笑)。
著者は岸信介退陣後、つまり池田勇人以降の経済政策に、岸的な〈統制経済〉からの断絶を見出している。池田内閣の「所得倍増計画」を立案した大蔵官僚、下村治の論文「日本経済の基調とその成長力」を巡って曰く、

下村論文を読んで気がつくのは、「所得倍増計画」というものが、実は、政府が必死になっていろいろな計画を立て、実行し、とにかく国民所得を倍にするのだというのではないことだ。日本経済は今非常な上り調子にあるから、これを押さえつけずに手助けしてやればいいという判断に立脚していることである。要するに倍増計画の主役は国民や企業であって、今までどおり一所懸命働けば一〇年後に所得は倍になる、といっているのだ。(pp.165-166)