小西 on 中村

承前*1

小西康陽「もしもあの世に行けたら。」http://www.houyhnhnm.jp/blog/konishi/2011/07/post-1.html


曰く、


中村とうようの死のニュースが流れたとき、多くの人が、彼がクロスレヴューで誰のアルバムに0点を付けた、とか、マイナス10点を付けたとか、そんなことを面白おかしく、あるいは苦々しく書いていたのを読んだ。残念なことだと思った。

6点や7点のような、当たり障りのない点数を付けても、人は誰も憶えてくれはしない。だが、0点やマイナス10点なら、人はその作品に興味を抱き、また採点者のことも忘れられなくなる。音楽に対して強い好奇心を抱かせることこそ、音楽評論家の仕事だと考えるなら、当然のことではないか。
たしかにそれはそうだ。これは俺も肝に銘じなければいけない。「当たり障りのな」さに逃げていないか。
また、

そんな中村とうように、自分は会ったことはなかった。だが、見かけたことなら、もちろんある。あれは、自分が大学生だったから、たぶん1980年頃だと思うのだが、東京のどこかの場所で、映画『ストーミー・ウェザー』を初めとして、ニコラス・ブラザーズやキャブ・キャロウェイなどの、アメリカ黒人の大衆音楽・大衆芸能の映画を上映する催しがあって、当時、そういう音楽に興味を持っていた自分は、観に行ったのだが、そこに中村とうようその人がいた。

髭を生やした彼は上映前の時間、ずっと「諸君」という雑誌を読み、顔を上げることはなかったが、会場にいた誰もが、あれが中村とうようか、と思ったに違いない。
という部分も写しておく。
ところで、小西さん、冒頭近くで今野雄二のことに言及している。俺も中村とうようの死の報道を最初に見たとき、そういえば去年今野雄二が……ということは一瞬頭の中を過ぎった*2