nessko もっともむきだしな詩心の発露は数学だと思うけどな。詩人が詩を紡ごうとするのは壊したいというのと真逆の動機なのでは。ここでの話の流れでは、「詩的なるもの」とは詩や詩心とは別のものということなんだろうな。 2011/08/04
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「もっともむきだしな詩心の発露は数学だ」ということでは先ず円周率をそのまま「詩」にしてしまったケイト・ブッシュに思いを致さなければならないということはともかくとして
*1、詩と数学(そして音楽)には或る共通点がある。それは厳密な形式的合理性の要請である。どの言語においても、詩で要求される韻律や用語法に関する形式的合理性を覚え・それを使いこなすには或る種の理系的センスが必要なのではないかとも思う。数年前に
池上嘉彦『英詩の文法』という本を読んだが
*2、その内容がどれだけ頭の中に残っているのやら。
さて、最初に引用したのは、そもそも「たいていの芸術は理智によって積み上げ、それを詩的なるもので壊して見せるんだと思う」
*3ということに対するブクマ・コメントであった。このような認識は、所謂現代詩が伝統的な
定型詩を否定する仕方で成立したこと
*4、それによって何が詩なのか、或いはポエ
ジーとは何かということが決定
不能になったこと
*5を前提としているのではあろう。