秩父事件のイメージ

『朝日』の記事;


秩父事件像をゆがめる内容」TBSドラマに研究者ら抗議

2011年6月30日11時45分


 TBSテレビが今年2月に放映したドラマ「菊池伝説殺人事件」をめぐり、秩父事件研究顕彰協議会(事務局・埼玉県小鹿野町)の鈴木義治会長らが「秩父事件や人物を『火つけ強盗』のように、ゆがめて描いている」として、同局に抗議していることがわかった。同局は「あくまでもフィクション」との姿勢だ。

 推理作家の内田康夫さんの同名小説をドラマ化した。背景として登場するのが秩父事件(1884年)や、長野県北相木村から参加した秩父困民党参謀長の菊池貫平(1847〜1914)だ。

 1985年に設立の同協議会は、秩父事件の研究・顕彰や記念集会開催、出版活動などを続けている。会員は約200人。鈴木さんは「協議会だけではなく、多くの秩父事件研究者の研究を否定するドラマであり、見過ごせない」と抗議の動機を話す。

 鈴木さんらが問題視するのは、ドラマで菊池貫平を「秩父事件の時、農民一揆に乗じ、過激な博徒を集めて略奪、放火、悪逆の限りを尽くした」と非難し、背景に集団が民家を襲う様子が流れる場面だ。

 鈴木さんらは「事件を『火つけ強盗』や『暴徒による暴動』との見方は明治政府が意図的に流したもの。これまでの研究で、事件は『自由民権運動の一形態』であり、事件参加者は『民主主義の先駆者』と見直されている」と指摘。

 菊池貫平についても「自由党員で地元の代言人(弁護士)を務め、事件では『私に金円を略奪する者は斬』などの困民党軍律を作った人物。高利貸を襲った事実はあるが、軍資金調達のためで、私欲ではない」としている。

 ドラマの末尾に「フィクション」の告知があるが、鈴木会長らは「フィクションとしても、実在の事件、人物を扱うには周到な配慮があるべきだ。『火つけ強盗』の見方で、子孫は近年まで苦しめられた事実がある」と言う。

 同協議会によると、抗議文に対する同局からの回答要旨は「フィクションであり、実在の人物の歴史的意味合いに踏み込むことを意図したものではない」とされるが、鈴木会長らは「納得できない」としている。

 今後は、協議会としてTBS関係者や原作者の内田さんにも参加を呼びかけ、このドラマと秩父事件をテーマにしたシンポジウムの開催を検討している。

 TBSテレビ広報部の話 作品の主眼は歴史的事実を描くことではなく、あくまでも原作に基づいたフィクションです。

●「民主主義の先駆者」に復権

 「火つけ強盗」などとされ、その子孫までが苦難の道を歩んだ秩父事件参加者だが、秩父事件研究顕彰協議会によると、現在は「民主主義の先駆者」として「復権」している。学者や同協議会の母体になった地域の事件研究者らが、膨大な事件の掘り起こし作業を進めた結果だ。

 さきがけは、協議会初代会長の故田島一彦さんらが、1954年に秩父市で開いた「70周年記念集会」だ。事件を「火つけ強盗などではなく、困窮した農民が圧政変じて自由の世界を求めた運動」と位置づけ、「事件の真実の姿」を広めようとした。

 68年には歴史学者の故井上幸治さんが、膨大な尋問調書などを調べて『秩父事件』(中公新書)を出版。事件を「自由民権運動の最後にして最高の形態」と評価した。72年に開かれた「88周年記念集会」には、事件参加者の子孫23人が出席。その1人が「事件後88年にして、遺族は陽(ひ)の目を見た」と復権の喜びを語った。

 復権をさらに進めたのが、84年に東京都内であった「自由民権百年全国集会」だ。秩父事件などの事件参加者の子孫94人を前に、民衆史家の故小池喜孝さんが「みなさんの父祖は暴徒ではなく、民主主義の先駆者だった」と語りかけ、会場から大きな拍手が送られたという。(奥山郁郎)

 キーワード:秩父事件 1884(明治17)年11月1日、秩父地方を中心に長野、群馬県などの養蚕農家や自由党員数千人が、借金延納や減税などを求めて武装蜂起した。しかし、警察や軍隊を動員した明治政府によって、同月9日、鎮圧された。30人以上が戦死、警察官5人が殉職した。裁判の結果、死刑12人を含む計3821人が処罰され、うち二十数人が獄死した。
http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/TKY201106300223.html

色川大吉先生*1はどう思っているのだろうか。秩父事件について今時この認識かよと一瞬呆れたが、内田康夫原作ということで、さもありなんと思い直す。内田は以前も小説のネタにした歴史的事件を巡って関係者から抗議を受けたことがあった筈*2
秩父一帯は恩師であるH先生のフィールドでもあったのだが、井上幸治『秩父事件』について、先生はあれは左翼的お国自慢が入ってるよねとは言っていたけれど。
秩父事件―自由民権期の農民蜂起 (中公新書 (161))

秩父事件―自由民権期の農民蜂起 (中公新書 (161))

ここで秩父事件の指導者である田代栄助は「博徒」だったわけだけれど、「博徒」であるが故にムラ社会を超えた「人間関係資本」(ネットワーク)を有しており、そのネットワークによって運動のムラ社会を超えた展開が可能になったともいえる。それから、秩父事件におけるネットワークの役割について、俳諧仲間のネットワークを挙げていた人がいたけれど、その出典は忘れた。やくざ者と自由民権運動の関係については、長谷川昇博徒と自由民権』というのもあり。こちらは秩父ではなく「名古屋事件」についての本ではあるが。