「子どもはみんな望むんですよ」(メモ)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110630/1309460207の余白への書き込み。

柄谷行人浅田彰西谷修高橋哲哉「責任と主体をめぐって」(『批評空間』II-13、1997、pp.6-40)*1における柄谷行人浅田彰の発言;


柄谷 アーレントが昔、最近の若い人たちは、未来について考えるとき、「もし核戦争が起こらなかったら」という条件つきで考えている、それがそれ以前の若者と違うところだ、と書いていた。それは或る意味で正しいけど、或る意味で違っている。ぼくは中学ぐらいのころ核戦争を望んでいたからね(笑)。
浅田 ぼくも望んでいましたよ。子どもはみんな望むんですよ。今のアニメだって、ほとんど世界最終戦争がテーマですから。でも、不幸にして世界はそう都合よく終わってくれない。それを受け入れることが、少なくとも核時代に大人になるということでしょう。
柄谷 そう、世界は破滅するといっても、しないんですよ。ぼくは、核戦争が一〇回も二〇回も起こっても、人類は残ると思う。ゴキブリしか残らないのではなくて、人類がゴキブリみたいに残る(笑)。そのことによって、人間性が変わるとも思わない。
浅田 むかし笠井潔と話したとき、人類が核戦争で全滅したら、ヘーゲルの絶対精神による総括がいわばネガティヴな形で実現するわけで、こんなに素晴らしいことはない、などと言うので、なんと子どもじみたナイーヴなことを言うのかと思った。それはたいていの子どもが望むことだけど、そううまくはいかないことがだんだんとわかってくるわけでしょう。少なくとも第二次世界大戦後においては、事実上よしんば絶滅がありうるとしても、権利上はみじめにも絶滅しそこなった生き残りとして考えるというのが大前提ですよ。(pp.32-33)
批評空間 (第2期第13号)

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