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有村悠「文学部へ行くのは社会的な犯罪に近い、か?」http://lunaticprophet.org/archives/5145


あの池田信夫*1が何かごにゃごにゃと呟いたらしい。これに対してはいちいち論評はしないが、もし池田の呟きに共感してしまう奴が一定数いるとすれば、それは〈文化資本〉なるものへのルサンティマンという社会的雰囲気に関係しているのかも知れない*2。まあ池田信夫観察家・批判者として知られている某なんかはどんなコメントをつけるんだろうね。
さて、誰かがコメント欄に曰く、


私は、経済学部の出身ですが、文学部は「使い物」になると思いますよ。インターネットやスマート・フォンや電子書籍が社会インフラの主流になる近未来には、流通費や製造コストや顧客を一人増やすあたりのコスト(Marginal Cost)がゼロで、コンテンツそのものが、経済財(希少性のある財)になる。だから、大事な事は、文学部の学生の中で、一人でも多くの「村上春樹」や「夏目漱石」が出れば、価値があります。逆に、経済学部は、経済理論の大部分が実用的な価値がないので、学んでも価値がない。だから、経済学部の方が、価値がありません(だから、池田氏は、「大学不要論」を唱える訳ですが)。
「経済学部」の評価はともかくとして、これには疑問符を幾つかつけておきたいと思った。文学部というのは(文学部には歴史学も哲学も心理学も入るので、ここでは一応狭義の〈文学科〉ということに限定しておくが)、文学作品を書くことではなく読むこと、解釈することを教え・学ぶところでしょう。文学作品を書くことは教えられるのかという問題がある。もしかして、この人はエンジニアを養成するように小説家を養成することができると考えているのか。そもそも文学部出身の作家が現実にどのくらいいるのか。三島由紀夫は法学部だし。上で名前が挙がっている村上春樹は「文学部」とはいっても演劇学科。そういえば、医学部出身の作家を挙げろといわれれば、安部公房北杜夫渡辺淳一加賀乙彦山田風太郎といった名前が直ぐに思い浮かぶ。作家になりたければ医学部に行け! ということも言えそうである。池田信夫は医学部を出て作家になることに対して「社会的な犯罪に近い」というのかな。文学作品を書くことを教えるということに戻ると、そういうのは〈文学科〉というより寧ろクリエティヴ・ライティング学科ということになるだろう。クリエティヴ・ライティングのコースがある大学は米国には多いようだが、日本にはあるのだろうか。俺は日大藝術学部の文藝学科くらいしか知らない。それから、そこ出身の有名作家は吉本ばななくらいなんじゃないかな。文学作品を書くことは教えられるのかという問題に逆戻り。
文学部の「価値」だけど、国語の教師や英語の教師は他学部出身ではなれないだろう(教育学部は除く)。それで十分なんじゃないか。国語の教師や英語の教師が社会的に不必要だと思っている人はあまりいない筈なので。