2つの11?

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110427/1303918915に対して、


osaan 2011/04/28 14:40 次、柄谷氏には3.11(原発事故)と9.11の比較をして欲しいなあ、と思います。
石原が再選された時、(そういえばあの後ブッシュも再選されたっけ)と思い出さされました。
事件後消費がやや萎縮してから、「みんなもっと経済活動をしよう。普段の生活に戻ろう」という流れになったのも同じ。
国が一つになろう、という言説が広まったのも似ています。
デマや陰謀説が広まったところとかも。
もちろん違う部分も多々ありますが、過剰に元に戻ろうとする傾向が妙に似ているように感じるのです。
とすると、以後の日本がどういう道をゆくのか、嫌な予感ばかりしますが……
まあ、私の予感はよくはずれますけど。
ともかく今さら「敗戦」や「戦中、戦後」になぞらえるのは、ちょっと違うのでは?
と今朝の朝日で高橋源一郎の文章を読んで思いました。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110427/1303918915#c1303969208
911と311、カバラな人なら何かいいそうな感じ。
広原盛明氏は

私は、今回の統一地方選挙にあらわれた世論状況を次のように見る。それは戦後体制の行き詰まりがもたらす閉塞感が一層深刻化し、その打開を求めて政権交代に期待をかけた民主党に裏切られるなかで、人々の鬱積した気持ちのはけ口が、石原・橋下・河村氏のようなファッショ的「個人」に向かう流れが次第に強まりつつあるということだ。そしてその背景には、既成政党に対する不信感の高まりとともに、自民・民主など支配政党間の主要政策に違いがなくなったという客観的な事実がある。

 支配政党間の政策のカベがなくなれば、どの政党・どの会派の議員が当選しようとしまいと有権者にとっては関係がなくなる。その結果、中身はどうあれ、口当たりのいい政策(有権者にとって都合の悪い政策を明確に掲げる政党はいない)をとにもかくも実現してくれるリーダーシップのある首長に期待がかかるようになる。

 まして「有事」ともなれば、議会が十分に議論をしている暇がない。有権者の目には首長の存在がより大きく映るようになり、それも「即断即決」を旨とする首長が一段と頼もしく見えるようになる。東日本大震災で日本全体が「有事状況」になってしまった今回の統一地方選挙において、知事など現職首長が圧倒的に強かったのはそのためだ。

 「有事」と「ファッシズム」との間には密接な関係がある。「平時」にファッシズム的状況が急速に広がるのは難しいが、今後、東日本大震災の復旧復興対策がつまづき、加えて原発事故が収束せずに危機的状況が長期化するような事態ともなれば、被災地域はもとより国民全体にわたってファッショ的首長への期待が急速に高まることは避けられない。

 今回の統一地方選挙とくに前半戦の首長選挙は、次の国会政局の前兆を示唆するうえで見逃すことのできない政治イベントだったといえる。石原・橋下氏のようなファッショ的首長が有権者の圧倒的支持で選ばれる世論状況のもとでは、国政においても同様の動きが必ず起こると見なければならない。それも現在のような菅政権のもとでの「生ぬるい連立劇」ではなく、「石原型首長」を頂く本格的ファッショ政権が成立する可能性についてである。
http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20110411/1302510667

と述べていますが、どうなんでしょうか。ただ、石原慎太郎の勝利にしても、石原が勝ったというよりは、〈反石原〉・〈非石原〉側が不甲斐なく負けたという側面が強いわけですし*1911直後の米国では瞬間的にナショナリズムが沸騰して、ブッシュの支持率が9割を超えるということもあったわけですが、今回の石原の場合はそのような圧倒的支持を得たわけではない。911に喩えるなら、菅直人政権の支持率が急上昇してもいい筈だけれど、まるっきり低迷していまし。また、「今さら「敗戦」や「戦中、戦後」になぞらえるのは、ちょっと違うのでは?」ということですが、これは或る意味で仕方ないかなとも思います。ほかにどんな過去の出来事を参照すればいいんだという話になるわけで。