禁煙時代の愛!

小谷野敦「歴史に学ぶ禁煙ファシズム その1」http://www.pipeclub-jpn.org/column/column_01_detail_80.html


このテクストには以前言及している*1。そのとき、「このテクストに引っ掛けて、煙草をネタにして何か書きたいとは思っている」と書いたのだが、ずっとほったらかしにしていた。以下、下らないことを書き連ねる。


七〇年代の映画やテレビ番組を見ると、病室へ見舞いに来た人でも平気で喫煙していたりするが、九〇年代になると、さすがにそれはなくなったものの、それでもまだ登場人物はしかるべく喫煙していた。

先ごろ終了したらしい、NHKの朝の連続テレビ小説ゲゲゲの女房』という、水木しげるの妻を主人公にしたドラマは、ずいぶん人気があったようだが、登場人物が誰も喫煙しない、と聞いて、私はいっぺんも観なかった。

まあそれだったら、『ごくせん』*2はどうよ。登場人物はヤンキー高校生なのに、煙草も吸わないし、酒も飲まない。これはどういうことだ。もっと凄いこと。梁文道「不再抽煙的007」(in 『噪音太多』*3、pp.167-169)を読んで、あの1日60本吸っていたジェームズ・ボンドが『カジノ・ロワイヤル』以降禁煙してしまったことに気がついた。やれやれ。
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さて、映画やTVドラマからの煙草の追放は映像表現に深刻な影響を及ぼすだろう*4。昔のハリウッド映画は性的表現の規制が厳しかった。今だって、プライム・タイムのドラマで全裸のセックス・シーンはご法度だろう。そこで、煙草は性の暗喩として用いられてきた。例えば、女性が男性の顔に煙草の煙を軽く吹きかければ、それはセックスしようよという誘惑の表現になる。或いは、男が先ず煙草を銜えて火を点けて改めて女性に銜えさせるというシーン。これが接吻や愛撫のメタファーになっていることは言うまでもない*5。煙草という小道具が使えないとすると、演出家たちはどのようにして〈性〉を間接的に表現するのか。
そういえば、彭浩翔(Pang Ho-Cheung)監督の『志明與春嬌(Love in a Puff)』という香港映画がある*6。香港では2007年以来オフィスやレストランなどのあらゆる室内スペースが禁煙になっている。そのため、喫煙者はビルの谷間にある喫煙所に行かなければならない。しかし、そこでは所属企業とか社会階層とかジェンダーとかを超えた新たなコミュニケーションが生まれる。『志明與春嬌』はそのようにして喫煙所で出会ってしまった 志明(余文楽)と春嬌(楊千〓*7)という男女を描くスタイリッシュな映画*8。この映画が日本で公開されているのかどうかはわからないけれど、公開されるとしたらタイトルはどうなるのか。《志明と春嬌》だと何だか落語家の物語みたいだ。やはりタイトルは『コレラの時代の愛』ならぬ《禁煙時代の愛》しかないだろう。
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*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101119/1290135716

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080819/1219122017

*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090511/1242021167

*4:See 梁文道「只要做愛 不要抽煙」(in 『噪音太多』、pp.218-219)。

*5:『挽歌』で秋吉久美子仲代達矢の唇から煙草を奪って吸うシーンについては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091021/1256098110で言及した。

*6:http://www.mediaasia.com/loveinapuff/en_main.html Also http://d.hatena.ne.jp/chichikin/20100504/p

*7:おんなへん+華

*8:因みに、このふたりが夜の公園で煙草を吸っていて、警官に絡まれ、広東語がわからない日本人と韓国人のカップルのふりをするシーンには大爆笑。