「田舎」だからではなく

承前*1


秋菊 2010/12/01 17:06
中高生男子のみんな、渡辺淳一フランス書院文庫より『デカメロン』や『千夜一夜物語』を読むといいですよ、と思いましたw「新鉢を一突きで割った」(by 千夜一夜物語)とか、なかなか奥ゆかしくて面白かったです。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101201/1291132383#c1291190805
ということですよ。
さて、

山崎マキコ「子供にとっての性的世界」http://www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/ocn/sample/onti/100902/index.html


東京都が画策するポルノ規制に関するに関する反対意見。その論は大体リーズナブルなのだけれど、ただ知識の問題と欲望の問題を混同しているというところもあるかとは思う。勿論、欲望の問題が重要でないということはない。
さて、いちばん話題になっているのは、雑誌『ポップティーン』が国会で(勿論自民党右派の議員によって)議論された1980年代の「田舎の女子高生」が置かれた性的な事柄への無知について。ただ、これは「田舎」だからというわけではないだろう。これも先日話題になった「夜這い」問題*2でも明らかなように、「田舎」でもムラにおいては若い娘が性的な事柄から隔離されるということは原則としてなかったのだから。「田舎」か都会かという問題ではなく、ムラかマチかという問題の方が近いような気がする。そもそも高校が設置されている場所というのはムラではなくマチである筈だ。


高校の周りは、からたちの木が立ち並んでいた。「男子禁制の証」である。わたしは高校のときに生徒会室に出入りする身だったので、そこに保存されている、かつての我が母校の資料というのを、たんと見た。昔のわたしの母校というのは、いわゆるお嬢様学校で、大正の頃の資料を見ると、海老茶の袴をはいた女学生たちが、白いパラソルを片手に集合写真に収まっている。つまり、良妻賢母を目指すための学校だったわけだ、そもそもは。
 市内には女子高と男子高があって、双方が、町の外れと外れに隔絶されている。だからお互い、無言ですれ違いながら登校するというのが伝統であった。話などしようものなら、大問題になるのだ。いつの時代の話だと思われそうだが、1980年代の話なんだから驚く。
「良妻賢母を目指すための学校」とあるけど、かつて大塚英志が『少女民俗学』で論じたように、性的なものから切断された「少女」(処女)というのは明治以降の「良妻賢母」主義において構築されたものだった*3。さらに、「良妻賢母」主義と女学校との隠れた(しかしより実質的であるかも知れない)関係については、井上章一『美人論』で言及されていたと思う。これによって、中流以上の娘たちは〈性への自由〉を奪われる一方で暫しの間〈性からの自由〉を得ることになった*4。また、「オタク」どもの欲望がこうした近代的制度を反動的に維持しようとすることにおいて存立しているということも指摘しておかなければならない*5
少女民俗学―世紀末の神話をつむぐ「巫女の末裔」 (カッパ・サイエンス)

少女民俗学―世紀末の神話をつむぐ「巫女の末裔」 (カッパ・サイエンス)

美人論 (朝日文芸文庫)

美人論 (朝日文芸文庫)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101201/1291132383

*2:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101118/1290096150

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090831/1251730620 また、本田和子『少女浮遊』も参照のこと。

少女浮遊

少女浮遊

*4:下層の娘たちの場合は、〈修身の教科書には載っていない親孝行〉を強いられる可能性があったので、〈性からの自由〉があったとはいえない。

*5:See eg. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080924/1222271516