「失落的一代」(メモ)

徐友漁*1「大規模上山下郷運動原因何在」『上海書評』2010年4月11日、p.6


潘鳴嘯(Michel Bonnin)『失落的一代:中国上山下郷運動・1968-1980』(欧陽因訳)(中国大百科全書出版社、2010)の書評。原書は、Michel Bonnin Génération perdue. Le mouvement d’envoi des jeunes instruits à la campagne en Chine, 1968-1980(Editions de l’EHSS, 2004) *2仏蘭西語の原書にしても中訳本にしても、400頁以上の大冊。日本語訳が出ているのかどうかは知らず。また、繁体字版は2009年に香港で出ている。
Michel Bonninによれば、徐友漁氏が「一場人類歴史上空前的強制性遷移運動」という「上山下郷運動」の「動機」には、イデオロギー的動機、政治的動機、経済的動機があったという。イデオロギー的な動機については、


毛沢東認為、中国的学校教育是資本主義、修正主義教育、青年越来越脱離実際、脱離群衆、脱離革命理想、因此、他們必須到農村去接受貧下中農的再教育、才能成為革命事業的接班人。與此同時、上山下郷還能実現另一個意識形態目的、即縮小“三大差別”(工農之間、城郷之間、脳力労働和体力労働之間的差別)。
政治的動機というのは「降伏紅衛兵*3である。紅衛兵による(の間での)「武闘」は中国社会を混沌状態に陥れたが*4、1968年には「武闘」を禁止するとともに、人民解放軍を各大学に進駐させ、秩序の恢復を図った。「上山下郷運動」はその秩序恢復の一環であった。また、毛沢東のカリスマ的権威を利用し・強化した。Michel Bonninは、経済的動機、例えば都市人口の増大に対する就職難の解消はそれほど重視していない。文化大革命の期間、都市部から農村部への人口移動だけではなく、農村部から都市部への人口移動もかなりあった。都市部の工場などの単位が人手を必要とした場合、当時の政策では都市部の青年を雇用することができず、農村部から労働力を募るしかなかったという矛盾した状況があったからだ。また、「上山下郷運動」というと辺境・僻地に行ったという印象が強いが、その多くは充分に労働力が足りている地域に行ったため、農民にとっては却って足手纏いだった。なお、経済的動機を重視するのは、Thomas Bernstein Up to the Mountains and Down to the Villages: The Transfer of Youth from Urban to Rural China(Yale University Press, 1977)。
Michel Bonninは五月革命世代なので、「上山下郷」した中国人に対しては同時代的な共感があるという。
ところで、「上山下郷」という言葉についてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070902/1188757550を参照のこと*5。「上山下郷運動」のスタートを告げた1968年12月22日の毛沢東、すなわち「偉大領袖的最新最高指示」は、

知識青年到農村去、接受貧下中農的再教育、很有必要。要説服城裏幹部和其他人、把自己初中、高中、大学畢業的子女、送到郷下去、来一個動員。各地農村同志応当歓迎他們。
文化大革命一般について、矢吹晋文化大革命』、加々美光行『歴史のなかの中国文化大革命』、それから雲南省に「上山下郷」した陳凱歌*6の『私の紅衛兵時代』をマークしておくが、日本における「上山下郷」にテーマを絞った研究については、不勉強のため、知らず。
文化大革命 (講談社現代新書)

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歴史のなかの中国文化大革命 (岩波現代文庫)

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私の紅衛兵時代?ある映画監督の青春 (講談社現代新書)

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