同姓同名

昨年9月の『朝日』の記事が今になって某人によってブックマークされていた。


同姓同名に会いたい…田中宏和.com

2009年9月29日10時32分


 戯れに自分の名をコンピューターで検索したことがある人も多いだろう。自分の知らないところで、全然違う暮らしを送る同じ名前の人――。そんな人にホントに会ってみよう、と集う人たちがいる。

 9月、東京・丸の内の中華料理店。9人の男性が、丸テーブルを囲んだ。

 「はじめまして、田中宏和です」。電機メーカーに勤めるさいたま市在住の田中宏和さん(40)が自己紹介すると笑いと拍手が起きた。

 「ようこそ! 田中宏和の集いへ」「ついに野球チームがつくれる人数になったね」

 9人は「同姓同名」という共通点で結びついた。漢字も同じ。だがそれ以外は年齢も職種も住んでいる町も違う。

 発起人は都内の広告会社に勤める田中宏和さん(40)。「田中宏和.com」というサイトを主宰する。

 ずっと、「田中」というありふれた名字にコンプレックスを抱いていた。

 転機は15年前の94年。プロ野球ドラフト会議で、近鉄の1位として奈良・桜井商(現・奈良情報商)の田中宏和投手の名が読み上げられた。うれしくなり、その話を翌年の年賀状のネタにした。

 以来、他の田中宏和さんを探す「自分以外探し」を続けた。別の宏和さんと初対面したのが9年後の03年末。インターネットのおかげだった。

 ゲーム音楽作曲家やウェブデザイナー社会保険労務士……。今では多くの田中宏和さんが集うようになった。

 メンバーの中に、銀行で融資を受けようとして断られた経験を持つ人がいる。同じ生年月日の「田中宏和」さんがブラックリストに載っていたらしい。世の中には、まだ彼らも知らない「田中宏和」さんがたくさんいるはずだ。

 この日は作曲家の宏和さん(51)が「田中宏和のうた」を作ってきた。作詞は発起人の宏和さん。ラジカセから流れる明るいメロディーに、一同から拍手がわいた。
http://www.asahi.com/national/update/0928/TKY200909280285.html

 「みんなで歌ってレコーディングしましょう」と発起人の宏和さんが言うと、レコード会社の宏和さん(46)が「スタジオなら借りられますよ」と応じた。「田中宏和がつくり、田中宏和たちが歌う歌」をネットで配信し、世界の人に広く見てもらおう――話は一気に盛り上がった。

 「名前って不思議です。名前を持つ動物は人間だけ。それに僕ら日本人は、漢字の違いまで楽しめる」と発起人の宏和さん。「田中宏和さんたちは、自分に一番近い他人。自分の別の部分に会っているような気がして……自分探しだけど、自分なくしでもあるんです」(石田博士)

     ◇

田中宏和のうた〉

作詞 田中宏和

作曲 田中宏和


自分で選んだわけじゃない

気づいた時には呼ばれてた

田中宏和田中宏和を知る

同姓同名 世界にたくさん この世界にひとり

田中宏和 この名前で会いましょう
http://www.asahi.com/national/update/0928/TKY200909280285_01.html

田中宏和」というと、司馬遼太郎の小説を捩ったタイトルの政治blogを書いているオヤジを思い出す人が少なくないのではないかと思った*1。勿論、上の記事には、丸山眞男も某希臘の都市も言及されていないが。この記事に対するはてブ*2を見ると、「大先生」とも呼ばれるそのオヤジに言及している人は2人しかいない! 左でも右でも政治blogを書く人というのは広大なネットの世界ではやはりマイナーなのかも知れない。
田中宏和」が実際世界に何人いるのかわからない。日本語の姓名の場合、漢字が同じでも読み方が違うというのがあってややこしいのだが、「田中宏和」の場合、ほかに読み方はないだろう(音読みでコウワという人がいたりして)。俺の場合、完全に、字も読み方も含めて「同姓同名」という人は多分いないと思う。「戯れに自分の名をコンピューターで検索したこと」は勿論あるけれど、そうしたら、多分読み方は違うのだろうけど字は同じという人がそれなりにいた。クラシックのミュージシャンだったり、騎手だったり、労働組合の役員だったり。勿論、全く存じ上げてはいないのだが、何となく親しみみたいのが湧くというのも事実ではある。
そういえば、カート・ヴォネガット*3が自分と同じVonnegut姓の人だけを対象にした一族内雑誌をつくりたいと述べていたな(『ヴォネガット、大いに語る』)。
ヴォネガット、大いに語る (1984年) (サンリオ文庫)

ヴォネガット、大いに語る (1984年) (サンリオ文庫)

ところで、大杉栄の甥の大杉豊という方が生きておられ、大杉栄のクロニクル的伝記『日録・大杉栄伝』(社会評論社)を刊行されたということを『朝日』の記事で知る*4