Remembering Zion

Yakov Rabkin「ユダヤ教徒シオニズムに反発する理由」
http://globe.asahi.com/meetsjapan/091019/01_01.html
http://globe.asahi.com/meetsjapan/091019/01_02.html


Yakov Rabkin氏は旧蘇聯レニングラード生まれで、カナダのモントリオール大学の歴史学教授。
シオニズム」の非「ユダヤ教」性を語る。少し抜き書き;


パレスチナの地にユダヤ人のホームランド(祖国)づくりを目指す「シオニズム」(Zionism)は、聖地エルサレム(シオン)に由来するが、これは宗教イデオロギーではなく、政治的イデオロギーとして19世紀後半に欧州で生まれた。戒律を守り、律法に従う人々の宗教的共同体だったユダヤ人社会に欧州のナショナリズムを当てはめたものだ。独自の言語(ヘブライ語)を持つ国民、民族として「ユダヤ人」(The Jews)を位置づけ、彼ら自身の国民国家を持つべきだという新しい考え方だった。


日本人は、お寺に参拝しなくても「日本人」という民族的アイデンティティーを持つことができる。だが、世俗化した東欧系ユダヤ人(アシュケナジム)は、シオニズムによって、民族的アイデンティティーを持ち、欧州の反ユダヤ主義(anti−Semitism)に対抗して少数者としての権利を主張できるようになったのだ。イスラエルのある学者はこう述べた。「我々がこの土地を求める理由は単純だ。神は存在しない。だが、神はこの土地を我々に約束したのだ」と。この発言はシオニズムが非宗教的な政治的主張であることをよく示している。

20世紀のドイツ系ユダヤ人の政治思想家ハンナ・アーレント(1906〜75)は、自身もシオニストだったが、シオニスト国家の樹立には否定的だった。彼女はイスラエルが建国された1948年の段階で、シオニスト国家を作れば、絶え間ない紛争が続くと見ていた。60年後、事態はまさにその通りになっている。昨年暮れから今年初めにガザで起きたイスラエルの軍事行動は、彼女の見通した事態が現実化したものなのだ。
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ここで言及されているアレントシオニズムの関係については、ダニエル・コーン=ベンディットの証言*1もまた参照のこと。
シオニズムの非「ユダヤ教」性について;

シオニズムに対しては、アラブだけでなく、イスラエル内外のユダヤ教徒の間にも極めて大きな反発がある。
(1)ユダヤ人とは、何らかの道徳的な価値を持ち、それを守る人々の集団であるはずなのにイスラエル国家のありようはこうした原則に反する。
(2)イスラエル国家の建国によって、ユダヤ人のアイデンティティーが、「ユダヤ教徒」から「イスラエル国家の政治的支持者」に変質してしまう――というのが主な理由だ。戒律を破ってもまったくおかまいなしなのに、イスラエルを批判すると即座にひどい反応が返ってくるといった事例に事欠かない。
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また、

私は学者としての見解と、個人的な意見は常に区別しているが、旧ソ連ユダヤ系ロシア人として育った私を含む宗教的なユダヤ教徒にとっては、ユダヤ教の継続性を保つことこそが重要なのだ。2000年にわたる伝統の本質とは、道徳的な価値を守るシステムなのであり、政治的、軍事的パワーとは無縁だった。自分にとって何ものにも代え難いことは、神の戒律、安息日、ヨム・キプール(贖(あがな)いの日)を守り、ユダヤ教に従った食物(kosher)を食べる。それだけだ。

宗教的なユダヤ教徒にとって、啓典宗教の始祖アブラハムが葬られている聖地ヘブロンヨルダン川西岸の都市)を大事だと思うからといって、占領してそこに住む必要はない。ヘブロンを愛することはニューヨークからもテルアビブからもできる。「ユダヤ教的な態度」とは常に極めてプラグマティック(現実的)で、妥協的でもある。ユダヤ教的なアイデンティティーとは、国境や領土を超越したものなのだ。だからこそ、ユダヤ人はチリでも神戸でもモスクワでも暮らせる。

シオニズムを巡っては、ほかにhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070913/1189693448 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070929/1191037228 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080604/1212521643 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090304/1236138432 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090410/1239386550
さて、Rabkin氏は「クリスチャン・シオニズム」について語っている;

宗教が中東和平の妨げになるとすれば、その最大の要因は、米国の宗教右派に信奉者が多いクリスチャン・シオニズムだろう。彼らにとって、この問題は純粋に宗教的な問題であり、妥協の余地がない。キリストの再臨(the Second Coming)を早めるためにユダヤ教徒イスラエルに集めなければならない、と考えている。そして、キリストが再臨すれば、ユダヤ教徒は二つの選択を迫られる。ユダヤ教徒はキリストをメシア(救世主)ではないと考えているが、キリストをメシアと認めて、キリスト教に改宗するか、あるいは最後の審判を受けて、死ぬかだ。彼らのシナリオでは、我々ユダヤ教徒は全5幕の演劇の第4幕で消えてしまう。

極めて危ないのは、宗教右派イスラエルロビーの影響が大きい米国やいくつかの国において、彼らが政治的に大きな力を持っているために「親イスラエル政策」をとっているということだ。米国で最も影響力のある宗教右派団体「アメリカ・キリスト教徒連合(CCA)」はブッシュ前大統領と密接な関係を保っていた。
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「クリスチャン・シオニズム」は神学的には「前千年王国主義(premillennialism)」と関係が深いといえるだろう。それは基督教のかなり初期の段階から『黙示録』解釈として存在していたが、それが大々的に説かれるようになったのは宗教改革以後、さらに19世紀の英国と米国においてであるといっていいだろう*2。近代的な前千年王国主義の始祖としてKaren Armstrong(The Battle for God*3)がその名を挙げているのは英国人のJohn Nelson Darby(p.138)。勿論、ダービーもユダヤ人のパレスティナ復帰が基督再臨を促進することを説いている(p.218)。前千年王国主義者の中には、「ホロコースト」を、ユダヤ人をパレスティナに誘き出すための神の計らいと解釈する者もいる(ibid.)。「「クリスチャン・シオニズム」の考え方がそれほど影響力があるというのは本当だろうか」というコメントあり*4。これについてコメントしておけば、「シオニズム」をビルトインした前千年王国主義というのは徹底して〈弱者の宗教〉、「復讐のファンタジー」(Armstrong, p.139)だということに注意すべきだろう。「クリスチャン・シオニズム」の勢力の大小は経済情勢によって〈弱者〉の数が増えるのか・減るのかに左右されるといっていいと思う。なお、Karen Armstrongは前千年王国主義と(世俗的イデオロギーである)マルクス主義との類似性も指摘している(ibid.)。また、前千年王国主義と対立する「後千年王国主義(postmillennialism)」は人間の努力によって千年王国が建設され、それが極まった時点で基督が再臨すると考えるので、進歩主義リベラリズムと相性がいい(p.138)。
The Battle for God: A History of Fundamentalism (Ballantine Reader's Circle)

The Battle for God: A History of Fundamentalism (Ballantine Reader's Circle)