承前*1
- 作者: 森政稔
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/05/01
- メディア: 新書
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森政稔『変貌する民主主義』からメモ。
「新保守主義」の二面性について、「新保守主義は、安定を失った社会への批判にさいして、家族・宗教・コミュニティ・女性の伝統的役割といったノスタルジーを喚起しやすい対象を持ち出す点で文化的保守主義の傾向を持つと同時に、経済政策においては大きな政府の批判、規制撤廃、民営化などを要求する新自由主義としての側面を兼ね備えている」と述べられる(p.35)。「文化的保守主義」と「新自由主義」は矛盾する。
この本が出たのは2008年5月、所謂金融危機以前であり、昨今では自民党も寧ろ新自由主義隠しを行い、強調点をここでいうところの「文化的保守主義」にシフトさせているようであるが。
しかし、新保守主義内部の原理の矛盾は、現実にはその進撃の足枷とはならず、逆に多様な階層から支持を得るメリットとなった。共通の敵は、ニューレフト、(略)少数者(マイノリティ)勢力、そして国民的統合を危うくするこれらの存在を「甘やかした」リベラル政府とされ、一方、資本主義は責任を問われるどころか、道徳的に称賛されることになった。こういう敵と味方の選択の恣意性が新保守主義を特徴づけるものとなっている。二〇〇五年の日本の総選挙は、郵政の民営化など新自由主義的政策を表に出し、自民党の小泉政権が「地すべり的勝利(landslide victory)」を得た選挙で、一九八〇年のアメリカでのレーガンのランドスライドの二番煎じというべき選挙だった。このとき、小泉に勝利をもたらしたのは、新自由主義的な政策によって何の利益も得られなさそうな、都市の若者の低所得者層であったといわれている。(pp.36-37)
また、「世論」について;
(前略)いまや世論によって敵と名指しされるのは、たまたまそこにいた少数者(たとえば外国人や、税金の無駄遣いをしているとして非難される公務員など)である。公務員への非難(もちろんそのなかには正当なものもあるわけだが)は、かつてのように支配者としての公務員であるよりは、経済合理性が求められる新自由主義の時代に周囲と合わない行動をする少数者としての公務員に向けられている。
世論は不満の表現として、つねにその矛先をどこかに向けているので、非難される側に回るリスクを多かれ少なかれ誰もが抱えている。そうである以上、人々にとって世論に乗ることは結局自分たちの首を絞めることになりかねないのだが、誰のものでもない世論はそんなことには関知しない。敵と名指しされた者たちをなぎ倒して、ただ通り過ぎるだけである。世論は、民主主義の名において正当化されることもあれば、民主主義を非難する側につくこともあるが、どちらも大きな違いはない。世論という全体を包み込む作用に対して、民主主義がどのような立場をとることができるかが問われているのである。(pp.10-11)
See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060206/1139243584 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060513/1147548713 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080126/1201373767 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080209/1202541178 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080703/1215108132 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080722/1216690565 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081015/1224008442