承前*1
- 作者: ジャックデリダ,Jacques Derrida,林好雄,本間邦雄,森本和夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2001/01
- メディア: 文庫
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問い――脱構築するということは、あなたにとって、現われに対して開放することであり、現われに対して現存であることを可能にしてやることなのであって、したがって、脱構築は否定ではなく、破壊ではなくて、逆に現われの構築なのですね。デリダ――現われの中に構築が存在するかどうかは、私には、わかりませんが、脱構築が肯定なしには考えられないということは、私にとって、疑いのないことです。異論の余地なく、脱構築は、肯定の動作であり、信じやすく教条的であったり、盲目的で楽観的で疑いを知らぬ積極的な同意に属するものであったりするのではなく、問い訊しや質問の瞬間によって想定されるものであり、肯定的なものである、本源的な賛同(oui)なのです。このような本源的な賛同の主題は、レヴィナスやローゼンツヴァイクやその他の人たちにおいて現われます。それは、私にとって、根絶不可能なものです。
問い――現われにおける構築という観念に、あなたは完全に賛成ではないように思われますが。
デリダ――現われの中には、到来するのであって自己構築するのではない何ものかがあり、ある意味での現象への到来があります。そして、そこにこそ、フッサールの分析の中で、直観と同時に受動性の経験が多大な役割を持つのです。現われの中には、自己構築するのではない何ものかがあります。いわば、構築は《あとから》到来するのです。出現の処女的な時点における事物への現象学的な回帰は、構築ではないのです。そして、出来事なり事物そのものなりの現われを必然的、不可避的に隠蔽するにいたる諸構築の沈殿を崩すことは、きわめて困難なのです。[けれども、このことは、なお、さらに複雑です。]*2(森本和夫訳、pp.129-130)