「武士道協会」

http://www.bushido.or.jp/index.html


http://d.hatena.ne.jp/tadanorih/20090615/1245006513にて知る。
サイトを見ても「武士道」とは何かということはわからない。「武士道憲章」*1なるものも通俗道徳系ではお馴染みのもので、これって「武士道」なの? という感じではある。ただ、これが「武士道」だとしたら、江戸時代の武士の実存に対して失礼なんじゃないかという気はする。そもそも江戸時代には「武士道」という言葉もあまり流通していなかったかもしれないが、武士とはどうあるべきかということについての規範的言明を「武士道」だとすれば、そのような思考は、幕藩体制の確立によってそれまでのインディペンデントな存在からサラリーマン的存在に変わったこと、また天下太平によってそれまでの武士=戦争をする人というアイデンティティの自明性が失われたことによる実存的葛藤から生まれた筈だからだ。
まあ、副理事長に渡部昇一が名を連ねていることから*2、何がしたいのかというのは透けて見えるのだが。ところで、理事のひとり、安岡正泰って、あの安岡正篤の息子か。「船井総合研究所」のサイトによると、その略歴は、


1931年、正篤・婦美の次男として東京に生まれる。1956年、早稲田大学第一法学部卒業後、日本通運株式会社に入社し、取締役などを歴任する。99年に同社退職後、財団法人郷学研究所・安岡正篤記念館の理事長に就任。主な著書に『為政三部書に学ぶ―出処進退の人間学』(致知出版)がある。正泰氏の父、安岡正篤氏は1898年、大阪生まれ。20代後半から陽明学者として政財界、陸海軍関係者に広く知られ、1927年に財団法人金鶏学院、次いで日本農士学校を創立、東洋思想の研究と後進の育成に従事した。
http://www.funaisoken.co.jp/site/column/column_1190686140_0.html