「無」は象形されないなど

「「間」はたんなる無ではない。「不在」が在の否定形でしかないことに注意しよう」*1ということで、「無」という漢字を思い出す。今でも、無と舞は同じ発音(wu)だが、最初「無」はdanceという意味で、nothingの意味としては仮借ということになる。その後、danceのために舞という字が作られ、「無」は無として独立することとなった。また、広東語では「無」の意味で「有」の中の「二」を抜いた字が使われるということは、「無」が「有」の否定としてしか存立し得ないことの証左となるか。
また、印度的(佛教的)「空」と中国的「無」の差異を巡っては、Jung Hwa-Yol先生の「漢字文化をテクスト化すること ロラン・バルトジュリア・クリステヴァについての註解」(李晟台、角田幹夫訳『文化と社会』3、2002)のpp.114-115とか。