「支那」を巡る最近の議論については例えば、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080118/1200676516とかhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081222/1229911438。
http://d.hatena.ne.jp/ytoz/20090313
「支那」(或いは「シナ」)に関しては、現在奇妙な二極分解が見られるのではないか。一方では差別意識丸出しの呉智英*1的・熱湯浴的な無頓着、他方では過剰な意識。後者においては、インドシナ半島を「インドチャイナ半島」と呼ぶ人もいる。Indochinaは中国語において「印度支那」若しくは「印支」と表記されているのに。
「支那」が問題なのはあくまでも(日本語における)その使用の歴史が問題だからだ。同様に、英語のChinamanは現在公には使うべきでない言葉とされており、日本語に訳す場合は支那人と訳すべき言葉だが、これも差別的な意図や文脈において用いられてきたからである。
「支那」を巡っては、丸川哲史*2『日中一〇〇年史』から少しメモしておく。1940年8月に発表された竹内好の「支那と中国」という文章を巡って。ここにおける「支那」という呼称は「「中国」という言葉が、逆に中国を占領している事実を覆い隠すためのポリティカル・コレクトネス(PC=政治的正しさ)として流通するようになっているという事態」(p.102)への抵抗であった――
「支那と中国」が書かれた同じ年の三月、日本の傀儡政権である南京の汪兆銘(一八三三〜一九四四)政権が成立しています。それと同時に、中国の人々の間で差別語と受け止められている「支那」を使い続けることは、この日中合作の体制の維持においては、もはや不都合であるとして、日本の政府や一部のマスメディアの中で、「中国」の使用が奨励されるようになりました。(ibid.)
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因みに、『古事記』にある「中国」(なかつくに)は、高天原(上)と黄泉国(下)の中間の領域という意味(西郷信綱『古事記の世界』)。
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*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071017/1192588766 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080130/1201705768 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080826/1219723717 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080827/1219806565
*2:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060111/1136938920 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070624/1182702293 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070707/1183826720