南京は語られているか

承前*1

魏一平「南京:秦淮新生的価値」(『三聯生活週刊』2008年11月17日号、pp.94-99)という記事を読んでいて、南京市の「秦淮河」流域の再開発が「聯合国人居奨特別栄誉奨」を受賞したことを知る(p.94)。
中国における都市に関して、杭州や蘇州の美について語る言説は多い。また、上海や北京についても、その都市としての美について語る人は多いだろう。しかし、南京についてはどうか。管見の限りでは、あまりないような気がする。実際に歩いてみればわかるように、南京が古代以来の歴史的な痕跡の息づいた、山紫水明な都市であるにも拘わらず。これを、南京大虐殺に関する〈歴史修正主義〉の横行が醸し出す空気に結び付けるというのはトンデモなことなのだろうか。南京大虐殺の事実を否認する人に疚しさがないのであれば、都市としての南京についてもっと語るべきだろうとは言っておきたい。
ただ、南京の都市としての荒廃には日本軍も責任の一端があるということはある。上の記事によれば、南京の荒廃には2つの歴史的契機がある。ひとつは日本軍の侵略を契機として、南京の東部が「難民キャンプ」と化し、後に「貧民窟」化したこと(p.98)。もう一つとしては、1980年代初頭に知識青年たちが下放先の農村から南京に戻ってきたが、戻ってきても住む場所がなかったので、城壁の外に住み着き、スラムが形成されたこと(p.95)。