比嘉政夫『女性優位と男系原理』

女性優位と男系原理―沖繩の民俗社会構造 (シバシン文庫 4)

女性優位と男系原理―沖繩の民俗社会構造 (シバシン文庫 4)

比嘉政夫『女性優位と男系原理 沖縄の民俗社会構造』(凱風社、1987)を読了する。


まえがき


I 沖縄社会の民俗的特質
1 沖縄社会と「やさしさ」の構造
2 琉球民俗社会の構造と変容
3 離婚をめぐって
4 沖縄の村落における呪術・宗教的世界−−沖縄本島南部の事例を中心に
5 民間巫者と社会構造−−八重山の事例から


II 沖縄研究の軌跡
1 孤高なるエトランジェ−−加藤三吾論
2 今日の沖縄民俗学と佐喜真興英
3 外国人による沖縄村落研究−−社会人類学の視点から


III 読書ノート−−沖縄民俗社会研究書の解説
『神と村−−沖縄の村落』<仲松弥秀・著>
『沖縄の古代部落マキョの研究』<稲村賢敷・著>
『沖縄の社会組織と世界観』<渡邊欣雄・著>
門中風土記』<多和田真助・著>
『稲作儀礼の研究−−日琉同祖論の再検討』<伊藤幹治・著>
『馬淵東一著作集』
竹富島誌−−民話・民俗篇』<上勢頭亨・著>
琉球弧の世界』<谷川健一・著>
常世論−−日本人の魂のゆくえ』<谷川健一・著>
『沖縄の宗教と社会構造』<W・P・リーブラ・著>


あとがきにかえて

この本のタイトルについては、「まえがき」に

この本のタイトルを『女性優位と男系原理』としたのは、女性優位も男系原理も沖縄民俗社会の一面を表わすものであり、沖縄文化の表裏をなすものと考えるからである。女性の男性に対する優位は主として祭祀の場でみられるのであるが、日常の生活でも決して男性に従属しているわけでなく、たとえば経済活動における女性の比重が小さくないことは、市場など商業活動における女性の積極的な行動をみても明らかである。沖縄民俗社会においては女性は男性とは独立した独自の世界を持つことができたと考えられる。一方、男系原理は沖縄社会の一部に女性を排除するシステムを形成している。しかしながら、その厳格な男系の社会組織も、女性が優位に立つ場を内包しているというところに沖縄社会の特質が表われているのではないかと思うのである。(p.6)
と書かれている。しかし、タイトルに釣られて、この本が沖縄社会のジェンダー的構造をもっぱら追究したものだと思い込むと失望するかもしれない。たしかに、それはこの本の中で反復される重要なテーマではあるが、目次を見ればわかるように、あくまでもこの本は著者の沖縄に関する論文、エッセイ、書評を集めた文集なのである。また、一般読者ではなく沖縄研究を志すという人にとっては、寧ろ第2部「沖縄研究の軌跡」における沖縄研究の先行業績についての詳細なサーヴェイとレヴューこそがこの本の中心ということになるかもしれない。
以下少し抜き書きとコメントをする。
著者は「沖縄社会と「やさしさ」の構造」において、沖縄の「門中」を巡って、

土地所有など経済的力関係を背景にした本家・分家の地位、役割関係が厳しく規定された[ヤマトの]同族のきちんとした組織原理と、祖先祭祀を中心に機能し家々が始祖につながる本流(根幹)と支流(分枝)という伝承的・観念的な地位、役割関係で結びついた、門中のやや一貫性を欠くゆるい組織原理とが対照的にとらえられ、厳格な家父長的な権威のもとで祖先の遺産を超世代的に維持継承するという観念と家産・家業の管理運営体としての性格を持った「家」と、超世代的持続という観念はあるものの家産・家業の経営体としては未成熟のヤーが、対比的にとらえられたわけである。とくに女性の地位をめぐっては、「をなり神」としての役割から生家との結びつきを持続できるヤーの原理と、「家」という枠に組み入れられた成員が「運命共同体」的結びつきを強くすることを理念とする本土の「家」の原理を比較するとき、ヤーの自由さ、ゆるやかさ、しまりのなさに対して、「家」の束縛性、厳しさ、秩序性が目立ってくる。(pp.31-32)
と要約している。また、

日本の「家」や漢民族の宗族は強い文化的個性を持った制度であり、きちんとした人間関係の原理を含む硬質の文化であり、「厳しさ」の文化である。日本では「家」の理念に反する者には勘当があり、漢民族の社会では外婚規制に背く者は刑罰としての死を覚悟しなければならなかった。沖縄のヤーや門中は、「家」や宗族に共通する要素を持ちながら、制度としては未熟で、こだわりのない、ゆるやかな人間関係の原理をふくむ「やさしさ」の文化とみることができよう。(p.33)
さらに、

沖縄の社会構造に東南アジアの他の地域の社会構造(華僑の社会を除く)との近似性があるとすれば、「家」のような、宗族のような制度的堅さを持たないということではないだろうか。沖縄では門中が全地域にみられるのではなく、組織原理がきちんと制度的に整っている門中は、旧士族層や首里那覇の王国時代の都市地域を中心に沖縄本島中南部によくみられるものの、北部や周辺離島においては、父系血縁尊守[sic.]の意識もゆるやかな「未成熟の門中」とでも表現できそうなものがあったりする。(ibid.)
という。ここで、沖縄と東南亜細亜諸社会との共通性が指摘されているわけだが、それとともに「門中」の地域的な相対性が指摘されている。「門中」が歴史的にも相対的であることは、「琉球民俗社会の構造と変容」の中で、

沖縄の「イエ」継承におけるきびしい父系血筋の遵守は比較的新しいものであり、沖縄本島中・南部においては大正年間に、すでに「タチイマジクイ*1」の禁忌についての観念がかなり普及してはいたが、沖縄本島周辺の離島には最近まで婿養子や他系養取も許容する、父系血筋による整合強化をめざさない「家筋」本位の考え方がかなり残っていた。(略)宮古八重山においても、父系血筋遵守へ傾斜は認めうるけれども、婿養子などに対する許容度は高いようである。(p.46)
といわれている。「門中」の普及は(著者は「門中化」という言葉を使っているが)現在も進行している出来事なのである。では、その「門中化」は何によって動機づけられているのか。著者は「近代化の問題に関わっているのではないか」ともいっている(p.90)。それはともかく、私としては、こうした或る意味で旧士族層文化への同化でもあり、首里那覇化ともいえることが王権がなくなった後に生起していることが興味深い。
なお、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081029/1225253024でもこの本に言及している。

*1:他系混淆。